月例講演会

何のために「稼ぐ」のか? 〜仏教徒の財産とは? 〜 4

DVD番号
V-161
コレクション
月例講演会
タイトル
何のために「稼ぐ」のか? 〜仏教徒の財産とは? 〜 4
行事名
月例講演会
収録場所
東京:かやの木会館
講師
アルボムッレ・スマナサーラ長老
収録時間
00:42:34
言語
日本語
収録日
2005年9月24日(土)

日々の仕事を活かせる「業」の思想を通し、欲望に流されない仏教的な「稼ぎ方」を学ぶ。今日から使えるビジネス金言にも満ちた講演。

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人間なら善行為して生まれたということはよく覚えておいてください 我々は別に人間に生まれた人々はね 過去で悪業をして生まれたわけじゃないんです どんな人間でも たとえ障害を持って生まれても 人間なら善行為の結果なんです そういうわけで 今今までの説明で 私たちは余計な欲や怒り 憎しみ それからこの欲望を満たすというとんでもない過ちを犯して この我々の善行為を働かなくなっているんですね コンピューターが引っかかって止まってるんです

ウイルスが入ってるんです ですから私たちはこの善行為っていうこと 善行為の結果ですね それはすごく守らなくちゃいけないんです 邪魔してはいけないんです 過去善行為をしたならば 今 前科により幸福になるはずです 私たちは幸福になるはずですよ そんな運みたいなもんですよ しかし 悪行為 悪感情 思考のせいで その成果が現れるのは非常に難しい 我々の頭が悪いんだからね 欲望 悪感情と悪行為もするでしょ だからこの幸福が現れるのは非常に難しい状態

それでも漏れて漏れて幸福ですよ 皆様の我々の幸福か幸福だと感じているものは ただ漏れたもんです 本物じゃないんです 今 真面目に真剣に仕事をしていても その仕事自体が悪行為であるならば たちまち不幸に陥る 仕事をしたら 稼ぎしたら幸福になるはずですよ しかし この仕事と稼ぎがまた悪行為だったら たちまち不幸になっちゃうんですよ これ法則違反ですよ そんな法則じゃないんです 人間だったら幸福になるはずなんです

陥る すべてを失う可能性は非常に高い 我々の仕事次第に 稼ぎ方次第に幸福が失う可能性っていうのは非常に高い

善行を大事にするべきです ですから 不幸にならない稼ぎ方

前のことをもうちょこっと説明すると 例えば麻薬を売って金儲かると まあいくらかはもうすぐ簡単に金が入るんだけど それまた怠けでしょ 簡単に頭を使わないで 不正で裏金を作ってやるぞとかね それ悪業ですよ それでは幸せになるはずがないんです すべて失う可能性っていうのは非常に高い そういうふうなもので ですから 欲張って稼いではならない 稼ぐときは金儲かってやるぞとかね やってはいけません 儲からないんです

怒り 憎しみ 嫉妬で稼いではならない 稼ぐときは 怒り 嫉妬 憎しみなどは割り込まないようにしなくちゃいけない 何の目的も計画もなく 無知で稼いではならない ただ単に稼いでいるって それもよくない 仕事は悪行為になってはならない 自分の仕事自体が悪行為 罪になってはならないんです 悪行為といえば 10種類ありますね 嘘をつくこと 窃盗すること 盗むこととかね 正しい仕事は他人の役に立つ行為です

では 正しい仕事っていうのは他人の役に立つんですよ 嘘をついて役に立つわけじゃないでしょ 盗んで金儲けたっても 他人の役に立たないでしょ それは悪行為なんです 自分も家族も他人も幸福であるようにという念頭で仕事をするんです 念願で 簡単でしょ すっごく簡単ですよ こんな微妙 仕事をする時は念願があってほしい 私も私の家族も 他の仕事の恩恵を受ける人々みんな どうかみんな幸せでいてほしい それだけの考え方で全て好転しますよ

そんな簡単な教えはないんですよ 自画自賛だけですけど 家族理由 生きるため 生きるために 外から体に物質を入れなくてはならない それが稼ぐ理由なんですよ 外からご飯を入れなくちゃいけないんですよ 肉体維持するために 心の安らぎのために 家族 友人などの人間関係が必要です 食べただけではダメですよ 人間には 心の安らぎも欲しいでしょうに ですから 家族がいてほしいし 人間関係も欲しいんですよ そうすると楽しいんです

そのために仕事をするんですよ 稼ぐんですよ 現代では何でも金次第と思っているが それは社会制度が価値を通貨で公平に判断しようとするからです 経済学者やら社会制度で人間の仕事を品物公平に評価しなくちゃいけないということになって

例えば私はかぼちゃ 1個あげたら 相手が米どれぐらい返せばいいかわからないでしょうに そうすると公平に売買できないんですよ それで金という数字になってくると きちんと公平に評価できるんですね だから現れた金ですよ みんな間違ってますけど 何でも金次第と言ってます 考えてますけどね 必要なものは揃っている場合は金は要りませんでしょうし 必要な必要なものは全部揃っていると 金が要らなくなっちゃうんですよ また稼ぎるよ 外の世界だけではなく

自分の体も自分のものではありません それを覚えておいてください 外の世界 自分のものじゃないでしょ 自分の体もそうなんです 自分のものではありません 自分のものというのは我だけ 体は借りて使うものです 体も借りたもんですよ 体と心の維持管理に必要なものを得る行為は仕事であり 稼ぐことでもある それで借りたものだから ちゃんとその料金を払わなくちゃいけないし それから外からご飯からいろんなものをもらいますよ 自分のものじゃないんだから

それ何とかの形で返さなくちゃいけない 自分のものはこうだけです 体も自分のものじゃないんです だからお金かかりますよ 体の維持管理に 心の維持管理にお金はかかりませんね 自分のものだから すべては無常で変化していくから 仕事稼ぎは絶やすしなくてはならないんです 一回仕事をして それで終わりということはないんです 稼ぐ場合はたまたまありますけど 仕事そうじゃないんですよ 朝ご飯食べたんだから それで一生いいやということはならないんです

食べても消えていく 体も消えていく だから消える消えるたびに また品物を入れなくちゃいけない 入れる品物はまた消えていく そういうことだから 稼ぎは一時的なものなんですけど 仕事は一生やらなくちゃいけないんです 物を引き寄せる能力はあるのでしょうかと だから問題は我々に物が必要ですよ 体に 維持するために それから人間関係では人々も必要でしょうし それもものなんです 家族もものだ 始めるんです で 自分にこの引き寄せる力がなければ

ご飯は自分のところに飛んでくる力がないとどうにもならないんですよ 今風に言えば 金の運がいいとかなんとか言うでしょ 金がなんか自分の方に見て飛んでこないと その引き寄せる引力のことを考えた方がいいんです 仕事をしただけでは儲からないんですよ

それで稼ぎは良いか悪いかって問題が出てくるんですよ 得るために自分が何かを与えるのでですですね

これ引力のことを説明します 引き寄せる引力というんでしょうかね 財産が自分の方にやってくるのかと それはすごい大事なポイントなんです その説明なんです 例えば 我々は何か与える与えてもらうでしょ 持っているものを与えてないものをいただくので それが仕事ということなんです 稼ぎということなんです このやり取りがスムースに機能するならば 稼ぎは一生でも悪くないんですね 何か与えたらちゃんと適切なものをもらう だったら問題ないでしょう

稼ぎはいいんです それからこの公式があります 与えるものは大きくて 得るものは小さいというシステムもあります 与えるものと得るものは等しいという同じということもあります それは安全な領域ですね ここら辺 この 2つ与えるはより大きい得るものより 読み方 そういう読み方ですかね ギビングイズラージャーダン receiving と まあ私はまあ数学は英語でしか覚えてないんですけど

で この場合は giving is equal to receiving ということで その 2つはだいたい安全ですよ 問題起こりません たくさん与えているんですけど たくさんもらってないんです 人生は安全です これが危ないんですよ 与えるものは少ない 得るものは大きい giving is smaller than receiving ということ これは危険です 不正です でもこれ企んでるでしょ

誰でも人間ならちょこっと仕事してたくさんもらおうと これは違法です 悪行為になります

それから何を与えるんでしょうかということで 人は頭が悪いだけで 与えるものはいくらでも持っているんですよ ないはずがない 仕事はないはずがないんです 稼げないはずがないんです 業はそれ決まってるんです 死ぬまで生かしてやるぞと ただ あれは頭が悪くて 私はどんな仕事をすればいいでしょうかとかね 悩んだりするんですよ 通常は体力 技術 能力 知識ですね 与えるものは これは順番に書いてます 一番儲かりやすいのは能力

知識です 体力はそれほど収入がないんです 技術はそれから能力 収入は多いんです 技術あれば能力あればもっと収入が得られます 知識だったらものすごい収入があるんです 収入が大きい分 労働力は減っていくんですよ 体力はほとんど労働力で どんどん労働力は減っていくんです 才能とは以上のものをいつどこでどのようにするのかと知ることです

この才能 才能というのはこれなんですよ こんな明確な定義は世の中でないんですよね だから覚えておいてください 才能っていうのは 自分の体力 技術 能力 知識などは いつどこでどのように与えるのかということ

で 抜群にピッタリするんですよ When where and how 例えば体力ある when 一番いい時期に与える体力を 儲かるんですよ 体力いらんところ与えたってもね 意味がないんですよ 例えばこちらでこの講演終わったら机片付けなくちゃいけないって

それ体力でしょ それで講演終わった時期 その when ということですね その時誰かがさっさと片付けてくれると その人は体力与えてるんですよ その場合は その仕事をもらった人はあげたい気持ちになっています 本人に引き寄せる引力はついています そこで体力の持ち主が来て 講演始まる前に全部机をきれいさっぱり片付けてくれるのです 与えるんじゃなくてぶん殴りたくなるでしょ 時期が外れたんですね だから その場所と時間と それからどのようにというね

メソッド そのことを知ってるならば それに才能というんですよ 例えば英語の才能あるというのはおかしいんです 英語の知識 能力ある 英語のことはさっぱりわからない皆様の前でペラペラペラペラペラうるさいだけでしょうに

追い出したくなるんですよ しかし 皆様 誰かが友達が外国人の人々が来て それで英語の能力がある人は さっとその場でビシビシ喋ってくれて それはそれはありがたいでしょう だから能力は結構邪魔に 場所が変わったら邪魔なんですよ 才能っていうのは いつどこでどのように自分の能力を使うかという 与えるものを使うかということ それによって また仏教ではプラスアルファでもっとすごいことを教えてますよ

体 言葉 考えという 3つの行為が他人に対して慈しみであるならば 最大の値です 我々は体で行為する 言葉で喋る 頭で考える その 3つも生命に対して慈しみである そうすると無茶引力つくんですよ そういう人はほんの少々の仕事をしてもたくさん得るんです これ引力のことで引力がなければもうどうにもならん 品物は寄ってこないんです これが仏教は明確に発見していってる あの裏技で 次に真理法を教えることは最小の値です

一番優れている値は真理を教えること 真理を与えることによって 受ける側の一切の苦しみ 悩み 希望 願望なくなり すべての要求は完了するんです だからそれほど与えるものっていうのはないんです 一番優れている値は真理を知ることなんです それでお釈迦様の言葉で言えば サッブダナンダンマダナンジナティ 意味は 法施は一切の布施に勝すということで しかし 法施する あるいはできる人には得るべき欲求はほとんどありません

与えるのは何か得たいんだからでしょうし 与えるものの中で最高なものは法を与える 真理を与えることなんですよ でも 真理を与える人は もう自分も完了しているんだから 別に外から何もなくても大丈夫です

それから与える行為の分析 よく覚えておいてください 与えるということが引力なんです それで業に 自分の業に 心にすごい引力ついちゃうんですよ で それで収入が増えて増えていくんです 人間関係も増えて増えていくんです 家族もすごく穏やかになって 優しくて 自分のことをすごく可愛がって楽しませてくれるんです それには引力がないと 次にのとこはこの分析ですね 与えるってどういうことかと

与える行為で得る結果が大きいか少ないか考察しなくてはならないんですよ 一応与えるならば できるだけ良い結果を出しましょうという仏教的な考え方だから ただ仕事をしただけで意味がないんです 結果も最大でなければいけません 結果が大きい方がこのマシンですね そこでセットA 1 与える能力 たくさんあげられるのに あげる量は少ない時 結果も少ない 我々に与える能力はいっぱいあるんだけど 与えないんでほんのちょっとだけ

時々いますね みんなもう仕事できるのに嫌だとかね やりたくないとかね 頼んでもなんかいい加減ちょこちょこっとやってくれるんですよ その場合は引力なくなっちゃうんですよ やっぱり自分持ってる能力は思い存分与えなくちゃいけないんですよ これ お金で言えばわかりやすいんですよ 1万円与えることはできる人がすごくケチって 500円与えると それで割り当てわかるでしょ すごい少ないんですね 与えるパーセントは 1万円与える能力がある人は

1万円与えると100パーセント与えているんですよ 寄付の場合は 1万円与えた与えた人がたくさん得を損で 100円あげた人が得が少ないわけじゃありません

100円あげた人は能力はそこだけ出したら その人も100パーセントあげているんです 1万円寄付する人も 能力はそこまでだったら100パーセントあげてますよ だから100パーセントあげると100パーセント得る引力ついてるんです だからだいたいお布施の場合は額は関係ないんだと言ってるのはそういうわけなんです

能力で考えてください すごい体力ある人は体力あって もう私はあまりもうもうもう疲れた 疲れるのは嫌やとかね 子供に仕事を任せるとかね 体力ない 自分が黙って じゃあ君たちやりなさいとかね そういう場合は 自分が体力 自分持ってるのは与えてないんですよ 2番目 与えるものを得た方法 得た方法も大事なんですよ 正しければ可は大で不正なら可は小です それはお金でわかりやすい 自分が不正なことをして 麻薬でも売って金儲けて彼は寄付する

でもあの金が汚れてますよ 能力自体が汚れています そうすると可は小になるんです それほど引力はつかないんですよ もう大大スケールでいろんなところに寄付しても みんな知ってます あいつはね もういろんな悪いことをしてね 億万長者になっちゃって 今いろいろやってますよと その罪滅ぼしにとか言うでしょうに だから引力は少ないんです だから 与えるものが正しく 自分が得たものでなければいけません 知識などにはあまりそれは機能しないんですよ

知識はカニングして知識を得ることできませんだからね 3番目は与える人の道徳性格 問題です 自分がすごい道徳な人間ならば 性格の素晴らしい人間であるならば 自分が与えるものに結果は大になるんです 道徳的にものすごく悪くて 性格も悪くて そういう人々が良いことをしても それほど良い引力は強い引力はつかないんです またあります セクションビー 受ける側から考えると 今セクションで言ったのはあげる側から

それからこの与えるものを受ける側から考えると 1人が受ける恩恵が大きい方が果も大きいんです で 私は少々のものを与えたんだけど けど 受ける側にとっては最大の結果になる ものすごいいい恵みになる 例えば 人が水がなくて脱水状態で死にかけている時 水一杯あげたらその人の命が蘇るでしょうね だから結果はすごいんです 与えたものと関係なく 恩恵が大きい場合は 自分の行為もすごい大きいんです 受ける生命の数が多い方が果も多いんです

ということは 一人の人に何かあげるよりは 100人にあげた方が当然大きいんですよ 受ける人の数によっても 受ける人は道徳的でない場合は可哀想くない それで受ける側はものすごい悪人で もうどうしようもないいい加減な人間だったら その人を助けてもそれほど結果が多くはならないんです 結果あるんだけど 結果は小になるんです

そこで受ける人は読んでたっけ 受ける人は道徳的である場合は果が大です 本当に立派な方で 性格の素晴らしくて そういう人を助けると自分の引力が大きくなるんです かっていうのは この引力のこと 引力が大になるんです 受ける人は完全な人格者の場合は果は最大です 自分が与える 誰かに その人が完全な人格者だったら 自分たちも完全な引力をつけるんですよ この場合はブッダのことになりますけど ブッダと阿羅漢たちの場合ですよ もう完全人格者なんですよ

微塵でも悪いところはないんです そういう方々に何かちょっとのことを与えたっても 自分が完全に引力 ついてしまうんです

それは与えることの分析 はい それから採算いたとしましょう そういうやり方でどうやって管理するのかと ただ お釈迦様の言葉を並べただけで ちょっと整理はしてないんです ボーゲーサンハラマナッサバマラッセーバイリーヤトーボーガーサンニチャヤンヤンティーワンミコーウーパチーヤティ そのゲーですけどね ウタレッシーよ ボーゲーサンハラマナッサバマラッセーバイリーヤトーボーガーサンニチャヤンヤンティーワンミコーウーパチーヤティ

で 例えば大体お釈迦様時代で四川の中の例ですけどね 財産を稼ぐ時 ミツバチのように行うべきなのですと ミツバチの生き方してくださいと 儲かる時は白アリの巣のように その人の財産が増えるのです 白アリは嫌でしょう でも自然の中にいる白アリはすごいアリ塚作るんですよ こんなちょっとちょっと口で砂を土を練って 口の中に 白アリの口ってのはすごい小さいんですよ そこでアリ塚作るんですよ かなりの量になるんですよ

やがて この白アリはもう家に入ったら大迷惑なんですけど 白アリ塚の土はものすごい立派なんですよ 結構粘度粘着力があって 家作ったりする時はすごく役に立つんです 土で壁なんか作ったりすると あれもうちょこっと練って作れば硬い壁になるんです で 火事にも大丈夫です まあもし屋根なんかを火事で消えてしまっても 壁はそのまんまさらに強くなっています 壊れないようにと とにかくこの白アリのアリ塚の大きさでお釈迦様考えてますよ

結構もう時々もうかなりもう白アリが掘ってみたら これ2倍ぐらいも下の地面の中に土を作ってるんですよ 大量 でも見てみるとなんかもうもういつ頑張っているのかと 増えるのは見えませんよ 知らないうちに増えているんです 稼ぐ時は他人に迷惑をかけたり 迷惑をかけたり 搾取したり 騙したりするのはいけません 咲いた花はミツバチが来るのを待っているのですということで 花が咲いたらミツバチを待ってますよ 蜜持ってってくださいと

そういうふうに稼いでくださいと だから詐欺をしたり 人を騙したり 金を儲けても相手が嫌がるでしょうに だからこの 善ベアハウという蜜のことで説明したように ちゃんとその 3つの条件を見て仕事をすると 相手が自動的に良かったとか助かった助かったとかね いう気持ちでお金くれるんですよ

芸の続きですね エヴァンボーゲサマハットアラマトクレーギヒチャトゥダーヴィパゲボーゲーエヴァンミッターニガンテティ

このように得た財産を余分に分けるのは好ましい その人は良い友人関係 人間関係ですねを築く 正しくミツバチのように金儲かる人にとってはいっぱい友達がいるんですよ だってみんな助けてもらってるんだから それから財産どうするのかというと お釈迦様 当時の経済状況に合わせて余分にしてください 収入を エーケーナボーゲーブンジェイアディヒカンマンパヨジェイタトゥッチャンチャニダーペイヤアパダスバイスサティ

エーケーナ 4分の1を使ってくださいと ちゃんとご飯食べて 家賃を払って 子供たちにもあげてという使う ドゥイヒカンマンパヨジェイ二分を投資しなさいと そうするとさらに収入が増えますからね 一文を加えておきなさいと アパダス何か災難が起きたら その時使うためにと あの今日あの時間なくて入れるの難しい 忘れちゃったんですけど 調べるとかちょっと時間かかるで 経典を あの仏教は借金は絶対認めません ローンはものすごい間違いだと

ローンして食べるということは 収入より使っているということなんです 業を壊してます 今ご飯食べる金がない人はお金借りちゃうと明日どうやって払えますかね?今日 1 日分仕事もできなかった人は

明日 2 日分仕事できるはずないでしょ だから決して収入を超えて使ってはならない お釈迦様は言うのは 4分の1ぐらい使ってくださいと言っても 現代ではね これはちょっとそれほど収入がないんだからね 数字だけ大きいんだけど 皆様の給料で計算してみてください 給料の 4分の1で家賃も電気電話代全部もう食料全部払っちゃうことできるのかというと

無理かもしれませんね だからどちらかというと 過去よりは現代の方が貧乏なんですよ 皆様は過去の人よりも我々は豊かというのは それは俗世間の考え方で ちゃんとした数学的な科学的な考え方じゃないんです 半分も投資できるならばね すごい豊かですよ だからまあその通りでなくてもいいんだけど 皆様に覚えてほしいのは この加えておかなくちゃいけないというポイント 突然病気になったり いろんな出来事が突然起こるんですよ

その時の人に なんとかなんとか助けてちょうだい 助けてちょうだいとかね 泣きながら惨めな思いをするんじゃなくて 大丈夫 もう加えてありましたので

老後のために加えるということは日本の考え方で あまり仏教的ではないんですよ なぜならば 死ぬ時まで仕事はありますから まあ生きていられます 仕事するんだったら稼ぎはしないよ それから道徳の厳しい仏教だから 年取った親を無視するんだったら とんでもない悪行為なんですよ 年取れば その分その人々は尊い人間なんです だから尊敬したりしなくちゃいけないんです 養っていかなくちゃいけないんです かつて自分も養ってもらったんだから

それでも年取っても仕事はあります 例えば もう体も動かないベッドだけにいるおばあちゃんにしたっても 仕事はありますよ 子供たちやら孫たちやらね ご飯持ってくる時に祝福ぐらいしてあげれば どうかお前ももっともっとたくさんもう儲かりますようにとかね

幸せでありますようにとかね 効きますよ そういう祝福は 孫が来てくると まあどうか君の勉強も効きますようにと 私は祝福しました それだけですっごく幸せな気分になりますよ 受ける側は 気分だけじゃないんですよ そういう場合は本当に幸せになるんです みんな知らないだけで そんな単純で生きて幸せに生きていられるということだから 年取ってベッドに至っても仕事はあるんですよ なんだこれと怒ったりしちゃうと みんなもう看病したくなくなっちゃうんですよ

そうすると老人ホームに放り込んじゃいますよ だから人間に仕事は死ぬまでありますので 仏教では老後のために蓄えてくださいということはあまり言わないんです 災難の時 使うために蓄えてくださいと それは財産の管理 それからこの布施をする 寄付をするという特別な出来事があるんですよ 今まで与える与えるという単語を使ったんですけど 布施をするという言葉もあります 使用する財産の一部を布施寄付として使わなくてはならない

幸福になりたければ リストラになりたくないと思うならば 自分の収入の一部を必ずお布施しますと 寄付しますと 分けてあげなくちゃあかんですよ そうなるとあの業が壊れないんですよ 新しい善行に入るんだだから 引力っていうのは 一つ引き寄せたら それで消えちゃうでしょ でも一部をまた寄付すると お布施をすると引力は消えないでさらに増えるんです 強くなるんです 仏教の世界では 確実に収入の一部は寄付しなさいという風になっています

だから 布施するということは日常茶飯事の出来事なんです 大体仏教の世界では なんかちょこちょこっと まあ忙しくて 金がなくてって もういろいろあってね もう人生なんかうまくいかないなとか なんか不幸な出来事 なんとか子供が病気になるとかね もう仕事でトラブルあるかと思ったら もうさっさとそういう人々はまあお布施持っていくんですよ 食事とかなんとか作ってお布施をして それでお坊さんたちに祝福してもらうんです それうまくいくんですよ

本当にうまくいくんです なぜならば その人が引力をつけてもらったんです 何の心理もないんです すごい心理学的なんです 寄付を受ける 受けた人は自分に何も物理的なものを与えないでしょうが 例えばね 恵まれてない人とかね お坊さんたちとかね 寄付したんだから お坊さんたちもたくさん何か品物を代わりにはあげませんよ それはサイキの世界で こちらは何でしたっけ?あの新年のなんかを持っていくでしょ あれなんて言いますか ん?ん?おねおね はい

それでお年玉なんか持っていったら 向こうはやっぱり返してくれるでしょうね それはサイキの世界で もう例えば恵まれてない人に何かあげたんだ その人また何か返してくる これはありえないんですけど でもその代わりにすごい引力は自分がついてもらうんです 財産 幸福などを引き寄せる力が自分につくのです 余分に収入が入る人は無駄遣いするのではなく 恵まれない人々を助けるのです 時々業がうまくいって たっくさん収入がある人がいるんですよ

生まれる時もすごい豊かな家族で生まれて 何の子も知らないで生活して それで自分もちゃんと仕事をしてとかね 随分金がいっぱいあげもある その場合も余計な贅沢 無駄遣い ぐちゃぐちゃね もうスポーツ車は 15台買ったりとかね あの京都の連中やってるようなね とんでもない生き方なんですよ だからイスラム国々としたっても すっごい貧乏ですごい問題でしょうね あんな無茶きったなくお金使うんじゃなくて 自分の宗教でも言ってるでしょうに

貧しい人々を助けなさいと バングラデシュならそういう国々を助けてあげれば 誰も爆弾を落としたり そんな何の問題もないでしょうね やり方がまずいんだからね 金銭で無茶 もう無駄に贅沢をする まあ昨日もテレビ見たんですけど もう 8台ぐらい もうむちゃ高級車 スポーツ車を持ってる人のこと 1,000万円ぐらいとか 1台とかね そういうあっても乗れないでしょうね なんか宮殿みたいに家があって それは自分の家じゃないんだと

お客さんが来るとき接待する家であると そんなもんで そういうことではなくて どれほどイスラム人がご飯食べるご飯がなくて ゴミ箱をあさっているのかというと 自分の宗教の人々でも他宗教の人々を助けてはいけないんですから その宗教だったら自分の人々を助けを助けてあげたらどうですかと まあだからこの余計に恵まれてる人々は その余計な分 自分のものでないと思った方がいいんです 体一個しかないんだからね これがもう恵まれてない人々に与えて

自分がさらに徳を積まなくちゃいけないんだと それによりたくさんの善行が蓄積するんです そういうことで どんどんどんどん幸福になる業が無用に増えていく方法なんです

稼ぎよりも人生の成功 稼ぐことばっかり考えるんじゃなくて 人生を成功してやろうと考えた方がいいんです 長寿 健康 美しさ 高貴な生まれ 収入 生まれ また他の優れたものを期待するものは 善行をすることを怠ってはならないのですというのは これ文章は難しいのは このブッダの言葉 もうそのまま訳そうと思ったんです 場所がないんだから偈は入れてないんです まあ簡単に言えば 人間なら長寿でいたい 健康でいたいと美しくいたいと

生まれるならばすごい高貴なところで そういう富のいっぱいあるところで生まれたいとかね 例えば政治家になりたくて 政治家に生まれなきゃ日本で無理でしょうね まあそういうことで まあそう期待はある 他のいろんなものは人間期待する それだったら欲で期待するんじゃなくて 善行為に怠ってはならない 美しくなりたければ善行為をするんですよ 高いいろんな品物を買って体に塗ったりするんじゃないんです 善行為をすると美しくなるんです

長寿のためにむちゃくちゃあれもこれも食べたりして生活するんじゃなくて 善行為をするんです 智慧のある不放逸の人は この世で得るべき達するべきものも あの世で得るべき達するべきものも得るのです だから不放逸であるならば 智慧もあるんだったら この人はこの世で得るべきものは全部得るんです 得るんです ということは成功するんです あの世で死後も達するべきところに行くんです ということは あの世でも成功するんです

仏教の稼ぎ方は この世で成功するためだけじゃないんです この世でも幸せで あの世でも幸せでいなきゃ もうちょっと失敗です ちょっとのところじゃなくて 結構失敗です その人こそが智慧 理性の人と言える で 偈はディクテーワダンメーヨーチャットヨーチャットサンパライコアッタービサメオディーロパンディトーティパウッチェティ

この世に達するべきものに達する あの世で達するべきところに達する そのように意義有意義な生き方をする人のことをパンディト智慧のある人だと言うんだよと

サンユッタニカーヤにあるんです 稼いだものを正しく使用するという ディーローチャヴィンニューアディガммаボーゲーソーブンジャティキッチャカロウチャホーティソーニャーティサンガンニサボーバリットワアニンドリートサッガムペーティターナン

またサンユッタニカーヤ 直訳します ディーローチャヴィンニュー まあ頭があるという ヴィンニューっていうのは理性 ディーローっていうのはまあ智慧のあるというね アディガムボーゲー 財産を獲得して いっぱい財産をもらって ソーブンジャティ自分でも楽しみます 財産をよく食べて遊んで 自分も楽しみます キッチャカロウチャホーティ それからやるべきことも全部やる ソーニャーティサンガン 親戚をバリットワ バリットワというのは養って

親戚 友達 みんなきちんと養ってあげて 自分でも楽しんでニサ というのは 牛の王様 リーダーですね 牛の群れっていうのは大体あのボスがいるんですよ 猿の群れも同じで 動物の場合は 牛の場合は大体このボスが面倒見るんですね 行くべきところはちゃんと調べていくし 水飲む川に入る時でも ボスがちゃんと調べて 自分が先に入って 安全なところで子牛たちとか入るようにしてあげるんです 結構頑張ってますよ 今はなかなか見ることできないんですけどね

昔は野生でいっぱい牛を飼っていた時はよく見られた現象で まあ現代日本語で言えば親分ですね 親分としてきっちりと生きてるんだと 親族を養う それで非難を受けることなく 死後天に赴くんです それが正しい生き方なんですよ この世でもよく楽しく生活して 美味しいものを食べて まあそれなりに楽しんで 気楽に贅沢 まあそれ適度な贅沢もして それから自分の周りの人々も助けて養ってあげて 家族やらね 死ぬ時でも天国に行く 文句はないでしょ そういう人生は

化石は自分から逃げる これもブッダの言葉です 穀物 財産 金銀 宝石 他の道具 他の必要な道具ですね 使用人 自分に従う人々 そのすべてを置いておいて去るのです それ死っていうことなんです いくら品物があっても いくら人間関係あっても 死ぬ時は自分一人で死ななくちゃいけない すべて去っていかなくちゃいけないと このサンユッタニカーに書いているんです それで次の偈にこう書いています

体言葉思考によって行った行為のみが死後影のようについてくるんです 自分が体で言葉で考えることで行った行為だけは自分から逃げません 行為は業だからね 業はポテンシャルで残るんだから 体も借りたもんでしょ 置いておくんです 家も外からもらったもんでしょ それは置いておくんです 家族も外からもらったもんだから置いておくんです 死ぬ時は自分の行為の結果だけ持ってくる それだけ自分のものなんです したがって 死後も実る善行為をした方が良いかな

死後も実る 死んでからも幸福になるように 我々は今生きていかなくちゃいけないんです だから 生きる場合はいつでも善行為善行為しなくちゃ 正解しなくちゃいけない 小さな悪行為でもしてはならないと それは業の法則からお釈迦様に説かれているんです あの世に行く人に 功徳がだけが支えになる あの世に行く時は 支えになる 助けてくれるのは功徳だけ 善行為だけ 功徳というのは善行為ですよ プンニャーニパラロカスインパティッターホンティパーニナ

これはだいたい仏教の人々は暗記しています この偈は そうすると結構頑張れるんです 死ぬ時は善行為だけよと 子供も孫も助けにならんぞと サンユッタニカーにあるんです それがこの 人生は稼ぐんじゃなくて成功するんだということです

で 財産は逃げるもんですよ 子供も家族もみんな自分から逃げるというか 自分が逃げるかどちらかわからないんだけど どちらでも置きますからね 自分から逃げないのは自分の行為だけ 富豪かで悪いのということで 欲執着は悪だ悪だとするが 富豪であることは悪ではありません 今までの説明でわかるでしょう いくら富を得たって別に抜け目ありません それは悪ではありません 過去善行を行ったものなら 富は勝手に付いてくるんですからね

過去世でいいことをしておいたならば もう嫌でももう富がついてくるんですよ それで我々も自分の業を壊してないならば もう富が勝手に付いてくるんです しかし それに執着したり 傲慢になったり 贅沢に陥って罪を犯したりすると 後は怖いんです 富がいっぱいあるのは悪じゃないんだけど この富をどう使うのかと それによって後は危ないんです だからあまり贅沢に陥らないで 贅沢をしてもいいんだけど 贅沢するところで悪いことしてるでしょ

悪行為してる それやめてほしい 余分な財産を恵まれない人を助けるために 人格を向上させるために 心性を広げるために据やすんです もし余分な財産があったら これは人格向上のために据やすんですよ 例えばブッダの時代で このすごい金持ちがいっぱい仏教徒になったんですよ ウィサーカー夫人 アーナンダピンデリコ氏 もう出てくる出てくる最近の名前がっていうのはほとんどもう大富豪家なんですよ 商人たちで その人々は財産は罪だ 悪だとかね 執着捨てるとか

ブッダから教えている もうもうそう言ったら寄ってくるはずないでしょうに 財産が悪じゃない その財産をどのように使うかっていうことで 問題は決めます 決めますよということで みんな何をしたかというと この全部もうブッダの教えを広めるために寄付をしたり お寺を作ってあげたりして インド全体的にサービスしてあげたんですよ だから そういう遠い昔のその方々のお陰で今の仏教があるんですよ アナータピンデリコ氏のウィサーカー夫人のお陰で

いまだに仏教は生きているんです だからその財産 財産いまだに生きているんですよ すごいことです だから たくさん富がある人は そういうすごい目的でそれを使っちゃうと もう人間というよりものすごい人間乗り越えてますよ 終わり そういうことで 加速論理は終了いたします ありがとうございます