月例講演会

「デキる人の秘密」を解明する ~「有能な人」は「やり方」が違う!~ 4

DVD番号
V-170
コレクション
月例講演会
タイトル
「デキる人の秘密」を解明する ~「有能な人」は「やり方」が違う!~ 4
行事名
月例講演会
収録場所
東京:かやの木会館
講師
アルボムッレ・スマナサーラ長老
収録時間
00:19:05
言語
日本語
収録日
2006年10月28日(土)

「智慧」の世界から観れば、「難しいこと」も「簡単なこと」もない。不可能を可能に、困難を容易に、無能を有能に変革する道とは?

文字起こし表示

AI文字起こしです。誤りはこちらへ。

はい おはようございます

えー私はえー 外人になりまして 帰国で 2年近くが経つんですけれども また昨日のヴィパッサナー瞑想の質問も そろそろもうおかげさんに達しようとしているんですけれども 今日も最初の出だしからつまづいてしまったようで 今の話をすると まあちょっと猛威がなくて そろそろ諦める感じなのかなというような気持ちも抱いて座ってるんですけれども ヴィパッサナー瞑想の質問の時に

長老は長老は 3時間のうち 2時間を心というものの正義のお話になっていらっしゃいますけれども

その心というものの その出だしのところで最初からつまづいてしまいまして

何がわからないかというと 心とは一体どういうもので 心を清らかにするとか 汚れを落とすとかということは 一体どういうことなのか よくわからないんですね 長老がお書きになったものまで読ませていただきますと 心というのは 変に目に見えない 不可思議なものなど何でもなくて 普通に話すとか喋るとか食べるとか寝る そういった行為が心であるよとおっしゃっているように思うんですけれども そこのところで一番最初の出だしからつまづいて引っかかってしまってて

いる状態なんですけども ちょっと教えていただけないでしょうか 心っていうのは 喋る 歩く 考える ご飯食べる そういうことでしょうに 喋ってるんだけど それはわからないというのはね 私にはわからないんですけどね 最初から私は思っていたんですけど あんまりにも妄想するからね それはやめてください このままこれほど明確に心があるのに 生きることが心でしょうに 手を上げたり下げたり 歩いたり 心でやってるでしょうに 手を上げることが心で

手は物体で 上げたいという気持ちがあったりするし 感覚があるんだから上げてる それで心なんですよ だからあるのは心ですよ 物質といえばほんのちっちゃな物質でしょうね 体にあるのは では心を清らかにするとか

だから汚れは体につくもんじゃないでしょうに 怒りは足につくものですかね あれはお腹につくものですかね 怒りは心でしょう 感情でしょう 欲張ることっていうのは 手で欲張りますとか ありえないでしょうに 足で欲張りますとかないでしょうに 私は欲張りますと言ったところで それ心でしょうに だから汚れるのは心で 体は汚れません 体はただの物質ですよ 土でしょうに 土には汚れも綺麗でも何の関係もないんです 例えばご飯は美しいもので

清らかなもので 便は汚いものだというのは これ心で判断するんであって 物質的に見れば何のこともないでしょ ご飯がおいしいものや 便は汚いものやとそう判断するのは心でしょうに

ですから この体には綺麗か汚いか 汚れか汚れてないかということはないんです 例えば水が汚れているかないかということはないんですよ 水の立場から見れば しかし 水を飲みたいという心を持っている人にとっては 水が汚れている 水が綺麗やという概念が成り立つだけ

人は美しくても醜いでもないんです 体がそれを見る私の心で あの人は美しい この人は醜いと判断するんであって だから汚いのは心なんです 汚れているのは心なんです 例えば我々の体で汗が出て ホコリが溜まったりする あ 汚れたと思っちゃうでしょう 本当はもうホコリが溜まっただけ それ汚れでもなんでもないんですよ しかし 感覚を持ってる私はそれが嫌やと思っちゃう 体が汚れたと思っちゃう それは心の問題である 全然お風呂の入らない人もいるんだからね

そういうわけで 問題は心だけ 汚れるのは心 清らかになるのも心 判断するのも心 生きるのも心 食べるのも心 呼吸するのも心 では あの心をきれいにするというのは 綺麗に食べる 綺麗に寝る 綺麗に話す そういったことで理解してもよろしいんでしょうか うんうん 心を綺麗にする 清らかにするということは 清らかに寝る 清らかに食べる 清らかに話す まあその理解はいいんですよ 別に この清らかにという単語は何なのかと

汚れた心で食べるか 清らかな心で食べるかということでしょう 例えば 貪瞋痴があって 妄想があって 自我があって 食べる場合は汚れた食べ方 慈しみで溢れた心で食べると清らかな食べ方 歩く場合は これでもう何スマートになって体力をつけてもらって みんなに見せてやるぞと歩く場合は汚れで歩いてますよ 怠けてはあきません だから人間というのは 人間はちゃんと頑張って人の役に立たなくちゃいけない ですから 体力をつけるために歩きますよと思ったら

心は綺麗でしょ だからもう清らかに食べる 清らかに寝る 清らかに歩くと言ってもいいんです 清らかっていうのは貪瞋痴がない状態 汚れたっていうことは貪瞋痴がある状態 まあ新しく話聞く人は貪瞋痴わからないかもしれませんけど 貪っていうのはむさぼり 瞋っていうのは怒り 痴っていうのは無知 むさぼりと欲と怒りと無知があると汚れています 心が そうすると食べることも汚れています 歩くことも汚れています 寝ることも汚れています

で 怒り 欲がなく 怒りがなく 無知がない心でやっていると 全部清らかです そういう風に理解してもいいんです はい ありがとうございます はいはい ちょっと大きい声で言ってくださいませ 耳が遠いんです あ どうもありがとうございました はい すいません よろしくお願いします えっと 五道の本で 子供からとか大人とか

ちょっと忘れてしまったんですが 何回か読みました えっと あの五道の話で何か引っかかったところがあります うん あの私自身は倫理哲学というものをあまり知らなくて申し訳ないんですけども

こちら美しくまで関わることができて 僕自身はあまりいいことがないのでなんとも言えないですけど じゃあ うーん まあいわゆるいい男というのは 人生でいいことをしたのかどうかとか じゃあ 外見に現れるというようなこと ちょっともっと大きい声で聞こえない 言わないと私聞こえませんよ はい すいません えーと 自信を持って言ってください はい えーと 輪廻転生 輪廻転生についてですね あの仮定を立てないと

業論というのは完全に理解できないのではないかということを一つ質問があります もう一つは 横山洪一先生の有識の哲学の解説を読みました ただ これには僕としては致命的な欠陥があるのではないかなと思います で ちょうどが有識について触れられないのはなぜなのかというのが一つあるんですが 僕の考えとしては 心について執着し過ぎるかなんではないかという推測はしているのですが

こちらの方についてもお聞かせ願えればと思います 今の質問もう一度言ってください 最後だけでいいんです 心に執着しすぎる ん? 心に執着しすぎる あの有識の本を読んでいて 僕の印象では心に執着しすぎるのではないかなと思いまして 質問をさせていただきます よろしくお願いします 2つ よろしくお願いします えーと まあ輪廻転生がなくても業論は成り立ちます だからといって輪廻転生を否定する理由は何なのかということもあります

で 私は信じませんということは理由にはなりません 我々は知らないことっていっぱいありますからね ですから そこはちょっとペンディングにしてください 世の中ではすべて行為の結果でしょ それを知ってますかね 何でも行為の結果 行為は 2種類 一つは自然の行為とは言わない それは一応ファンクションですね 地球が回っているわとかね それによっていろんな変化が起こるでしょ それは生命は絡んでないんだからね 地球の回転によって冬になったり

夏になったりする それはもう行為の結果なんですよ 我々生命がやることを全部行為の結果 行為の結果 行為の結果 これははっきりしています ですから 行為には結果確実にあるということは業論なんです だから我々は行為に気をつける いくらか推測できますよ こんなことをしたらどんな結果になるのかというね 例えば嘘をついて人を騙したら素晴らしい結果になるわけじゃないんです 騙したっていうことは成功かもしれませんだけど

信頼できない人間になったという結果も帯びています 信頼できない人間になって 世の中で生きていられるのかというと 人を騙して儲かったかもしれませんだけど 社会人として信頼できない人間がという結果得ているんだから 損の方が多いんです だから 常識的にそういうことはやめましょうと すべては行為の結果です 行為は心でやっています それから このなんで人間一人一人違うのかということは なんである人には 例えばベートーベンやらね

無茶才能があって 私ならあれどうやって弾くのかと わからないもう それは才能ないんですよね ある人が描いた落書きはもう何百万 億単位で売られて 一生懸命苦労してる 描いた絵画なのに まあ 1 万 2万円しか値段つかないとかね もう何やこれ やっぱり人は様々バラバラだから これは一回生まれた 一回で死ぬというイスラム教の教えでは説明できません

で まだ若いんだからね 知らないと思いますけど できれば生まれて 1ヶ月間の赤ちゃんたちを見てください 一人一人生まれつき性格違うでしょう それで同じ兄弟なのに ある人はニンジン嫌いし ある人はすごいニンジンは好きやとかね で 同じ兄弟なのに一人がすごく明るくて 一人一人がいつでも気分屋さんでとかね そういう風にいろいろ性格一人も似てないんですよ それが長い間の原因結果の流れですっていうのが仏教の話なんです

まあとにかく輪廻っていうのは皆様の知識で理解できるものではないんだから そこはカットなんです それは超一流たちや智慧で お釈迦様が発見されたものだから まあ自分でも具体的に知りたければ まあ瞑想するしかないんです して かなり思考概念を開発するしかないんですけど 一応質問にあったのは 輪廻が信じ 輪廻を信じなくても業論成り立つのかっていうことだから成り立ちます 二番目は唯識の話でしょ 唯識哲学には決定的な弱点がありますので

私は全然相手にしないんです それは終わりです なぜ なぜと聞いたら なぜ? なぜなぜと聞いたら 別に聞いてはいけないではなくて 私はそれ以上話したくないということですね ありがとうございます

はい まあ質問ないそうですから では終了しましょう 回向の三宝に礼拝致し

戒の守り 慈悲の瞑想とヴィパッサナーによって得られた功徳を かみなり 先祖 その両親 親族 恩師をはじめとし 一切の人々にもに回向いたします この功徳によって すべての人々が幸福になりますように そして偉すが現れますように サッビーティオーヴィパッジャントーサッバローポーヴィナッサトーマテーパワットアンテラーヨスケーディーガーユコーバワーバウトゥサッバマングラッカンサッバ

デヴァタサッバブンダヌバーヴェーナサッバダンマーヌバーヴェーナサッバサンガーヌバーヴェーナサダースッティバワントゥテーアビワダナシーリスーニッチャンワッ ダパチャリーノーチャットルーダンマワッダンテーヤーイワンナースカンバラン

では 長い時間どうもありがとうございます ありがとうございました