月例講演会
「やる気」のエネルギー源 ~挫折しないための「意思」と「動機付け~ 1
- DVD番号
- V-171
- コレクション
- 月例講演会
- タイトル
- 「やる気」のエネルギー源 ~挫折しないための「意思」と「動機付け~ 1
- 行事名
- 月例講演会
- 収録場所
- 東京:かやの木会館
- 講師
- アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 収録時間
- 00:53:30
- 言語
- 日本語
- 収録日
- 2006年11月25日(土)
人は目的に向けて努力しようとするが、しばしば挫折を余儀なくされる。私たちが活動を全うするために必要な心がまえとは何か?
では よろしくお願いします はい これから今日のお話に入ります こういうテーマで あの 意志と動機ですね まあ左遷 左遷しないためということで まあ人間にとっては一般的にある問題でね 何かやろうとしてもまあ途中で嫌になっちゃうんでしょうしね なかなか途中で嫌にならないということっていうのはほとんどないんです まあいろいろ原因はありますけど まあまあ それなんか全部今日は取り扱うしないことにしまして ほんの一部だけ説明します
で 今日はまあ このお釈迦様のたったこの一行の言葉に中心にしてお話します
わあやめてえわ プリソヤーはアッタッサニッパダという大変な有名な言葉で 意味は人は目的に達するまで努力するものですと で 今日の話はそれだけなんです わあやめてよ プリソヤーアッタッサニッパダ 何か努力するならば 結果出すまでやるもんだよと ということは 当たり前のことのように聞こえますね ブッダの言葉っていうのは 大体どちらでも なんだ当たり前じゃないかと思えるんですけど でも当たり前じゃないんですよ
人間に発見できないことを言ってるんです 今まで発見できなかったことを言ってるんです それが当たり前のことを語れるのは お釈迦様はもう修学者だからなんです もう何も欠点ないんだからなんです で こちらで言うのは精進しなさいと もうどうしようもないんだよと 他選択ないんだよと だから挫折なんかっていうのは成り立じゃないんです
だから人間であるならば 生命であるならば もう選択はないんです もう精進するしかないんです そういうことなんです だから これはまあ 存在って何でしょうか?生きるということは何でしょうか?という同じ質問の答えなんです それに努力する世界なんです それはサンユットニカーヤに出てきます では 中身に入ります まあまず まあ一応当たり前のこと聞こえますけどね 結果が出るまで頑張るのは当たり前だと しかし 我々は諦めるんですね
これはなぜでしょうかと 1番目は本来の怠けに負けるんですね 生命に本来怠けというものがあります それに負けるんです 2番目は目的は見えるが 過程は見えないという問題がありますね 3番目は性格的に優柔不断ですよ 4番目は目的は曖昧 清らかではない 曖昧な清らかでない目的の場合は なんか途中で諦める羽目になるんです 5番目は心の汚れにより柔軟性はない 人間は柔軟性がないんですね かなり頑固ですね 硬いんです だから折れちゃいます
6番目は無知が自分を支配するんですね 我々は無知に聞いて行動しています 理性に知恵に話を聞かないんです 無知が何か言ったら 自分の心のことですけど すぐそれに従います そういう大体 6つぐらいのポイントを扱ってはみます
はい それではこの一つ一つ詳しく説明していきます 1番目 本来の怠けという 生命といえば怠け者なんです ごまかしはできませんよ いい 私は違いますよと これはありえないんです 生き物なら怠け者に決まってます
だから生命の本能は怠けることです 本当に我々の本能から聞いてみると 本能っていうのは怠けることなんです どんな努力する人でも怠け本能でやってるんです いつか怠けたいと それではね 生きていられないので もういやいやで踏ん張るんですよ 怠けたいんだけど 怠けては生きていられないんですね すぐ死んでしまうんですよ 怠けたいんだけど 怠けると死んでしまうんだから もういやいやでみんな踏ん張ってます
そういうことだから 挫折するということは当たり前の現象になるんです 決して気分よく明るくやっているわけじゃないんです 何やっても我々は嫌で嫌でやっているんです できればやめたいと これできないからやっているという生命なんです
それで怠けるために努力するので 必ずこの矛盾に遭遇するんですよ これはよく勉強した方がいいんですよ 世の中にみんななんで努力するのかというと 怠けるために努力するんです 科学研究も開発も すべて怠けるためなんですね より楽な人生のためにやっているんです だから より楽な人生のためにむちゃくちゃ苦労するということは矛盾でしょうに だからこの世の中からは矛盾というのはもう立ちされません 矛盾でできているんです なんでそんな苦労して
徹夜までして仕事をしているのかというと これ怠けるためなんです 楽をするためなんですよ では このいろいろえーと 何でしたっけ?修行する人々はどうでしょうかと あれも結局これで超能力で身について まあ楽になるでしょう 結局は怠けるためにやっているんです で いろいろ経典がありましてね ものすごい厳密な哲学的なセクションもありましたけど 今日はちょっとそれは紹介しないことにしましたけど この怠けの問題はね そういうわけで
我々は何をしても何か矛盾にぶつかるんですよ 子供でも勉強しなさいと言っちゃうと まあいやいやで始まりますけど それでもやっている途中で真剣真面目に勉強している途中で また矛盾にぶつかる こんなことやったって何か意味があるのかとかね きめ細かい数学やあれこれで こんなことはいつどこで何のために使うのか どっちでも使う場がないんだからね だから矛盾にぶつかるんですよ まあ例えばまあよく言うこと まあ死んじゃったら全部終わりでしょうと
それもこの矛盾なんですね いろんなことをやったって もう死んじゃえば全部終わりだから もういいからやめちゃえばいいんじゃないかという気分になるんです 余計なことをしないで ということで いつでも怠けというものは我々の心の中で 本来ついていて 私たちはまあかなり攻撃しているんです
楽をすることではなく 努力することを楽しみに生き甲斐にしないと解決できない それで解決方法はこれなんです 楽をするためにあれこれと努力するんじゃないんです ちょっと理性で見ると 無知で聞かないで まあいっぱい今苦労して勉強して もうこれから大変人生は楽になりますよということは これは無知なんですね よく勉強すれば まあものすごい収入の高い給料の高い仕事で見つかるでしょうとかね そうすると楽々だよ そんなのありえません 苦労して勉強した人は
それなりの給料が高い仕事には就きますけど 仕事はものすごい難しいんです 楽じゃないんだよ 責任が多くて 大変ですよ だから我々言っているのは このちょこっと苦労すれば楽になるぞというのは これは真っ赤な嘘なんです
嘘にも嘘に求めて生きてるんだから 矛盾に出会います それで解決方法っていうのは 今苦労したらこれから楽になるんだよではなくて この努力すること 何かに挑戦することで怠けがなくなるんですよ 怠けも本当に苦しいんですよ 命に関わるんですね だからこの努力することが まあこれは楽しいと それであなたに何かがなるか いや それは考えてないんだと ただ努力していくんだけど そうすると瞬間瞬間の努力は楽しみになるんです 努力が楽しみになるんですけど
努力の結果 大変な楽しみが待ち構えているぞと言ったら これが嘘なんです そういう そういうことで努力すること自体生きがいにしておけば 全然矛盾にぶつからないんです このいろんなもう大事な発見している科学者たちは 一つ発見する場合はむちゃくちゃ失敗しているんです それですごくお金がなくなったり 研究費はね 時々もう 1年 2年 もう時々 3年 5年かけてずっともう積み重ねてきた研究が ちょっとしたことで全部パーになったりとか
あるいはその理屈は全部ダメっていう風になったりしますよ それでそういう人々は はぁ 結果がないんだ もう嫌やと挫折するかと そうじゃないんです そういう人々は あの苦労して馬鹿げた研究することが楽しんでるんですね そこでたまたま良い結果が出たりする だから挫折しない この世の中で挫折しないで何か結果出している人々っていうのは 大体その努力すること自体を楽しんでいるんですね だから この我々が本来持っている怠けに対して
それしか答えがないと思います 次にいきます では 見える目的と見えない過程ということで 我々にはすごい目的はいっぱいありますね 人生には こうなりたい ああなりたいという目的はいっぱいあるんだけど その目的にどのように達するのかという これはあんまり気にしないんですね だから目的も大事かもしれませんだけど その目的に達する目的を実現する過程 方法 プロセスも 大事であるし どちらかというとプロセスの方が大事なんです
例えば過程を楽しむならば 精進することを楽しむならば プロセスが自体が楽しい 大事ですよ 目的は本当はどうでもいいんです
で 過程無視すると途中で終わるか 夢で終わるかなんですよ 夢があって目的があって あまりどのようにすればとわからなくて 頑張っても途中でやめる羽目になるんですね あるいは方法がないと ただ頭だけで妄想だけで終わっちゃうんですね よく考えてほしいのは 目的には瞬間に達するんですよ しかし そのプロセス プロセスには何年もかかります 例えばオリンピックで金メダルを取ることが目的だとすると あんなのは瞬間の出来事でしょ
たった瞬間です はい この人かって勝ちましたと 1になりました 走り競技だったら あのリボンに胸がつける瞬間で目的に達しているんです つけた瞬間にリボンが落ちますからね だから目的っていうのは瞬間の出来事 しかし そこまでの過程 どれぐらいかかってますかね 小さい時から走って走って走って また選ばれたところで国の代表として それからまた厳しい訓練を受けて受けて 毎日毎日 すべて他のことを全部やめて 遊ぶことも 友達の関係も全部やめちゃって
同じ歳の人々と話を話したり喋ったり それも全くできない そういう風な この長い時間の過程があるんだから それ苦しいんだったら人生台無しでしょうね 例えばもう 7 8年オリンピックに出るために訓練したとすれば その訓練自体がもう最悪苦しいんだと 苦しかったと言っちゃうと その人には苦しみしかないでしょうね あのほんのわずかな瞬間の楽しみしかないんだよと思うと 妄想で観念で生きている羽目になっちゃうんですね だから過程が楽しかったというと
あんなメダルなんかはどうでもいいってことになるんです もらったってもどこかに置いておくんです だからその人々は挫折はしませんね 目的より過程に時間がかかります そういうことだから 知識人は常に今の行為を気にして
これでこの行為で自分の目的に達するのかと常にチェックを入れるんですよ 無知ではなくて 知識人なら 理性の人なら目的は置いておいて 今やっていることで自分がその目的に達するのかと いつでも今をチェックするんですね だから勉強の本を置いておいて 漫画の本を見ているならば 頭のいい子だったらこれで合格するんでしょうかと 自分に聞いてみれば 漫画を見ても合格をするはずはないんだからね それを置いておいて また勉強する その時 これではどうでしょう
あ これだったらなんとかうまくいけそうと そうすると そちらで喜びが生まれてくるんですね 3番目 優柔不断ということ
何で優柔不断かというと この無知 欲 そういう感情で気持ちは定まらないんですね 何か決めることはできないんですね あれも欲しいんだけど これも欲しいんだけど しかしあれは嫌で これというふうな感じで心がもう動くんですね 定まらないんです これかなり大きな問題なんですね
エネルギーは出てこない 例えば自分が何か目的を決めたら まあでもこれって大変だよとわかっても いや 私はやっぱり大変なことがあることはわかりますけど まあこれにしますと 優柔不断だと 大変ですかね ではやめようかな どうかな もっと楽なものないかなとかね それであります 楽なこの目的 でもそれは大した目的 そうですね それはあんまり大した目的じゃないしね まあと で 優柔不断でしょうね だったら大した大事な目的にしない
でもやっぱりそれ苦しいでしょうとかね 競争は激しいでしょうとかね そういう風にいろいろ 問題が起きるんで それ欲と無知ですね あるいは目の前の楽しみに惹かれるんですね 設計して人生をやるんじゃなくて 自分の目の前である楽しみに惹かれて 人生はダメになるんですね まあこれ大変大きな問題で ほとんどの人々は人生失敗するのは目の前のことで まあ楽しみを追おうとしているんだからなんです
そういう優柔不断な人っていうのは 何を決めても簡単に諦めてしまうんです 簡単にやめてしまうんです それから何かやっている時でも 誰かにいとも簡単に誘惑してやめさせることはできます
そういうこと それで優柔不断な人にはもうやる気も精進もできない
決して気持ちは定めてないんだから やる気は出てこないんです 優柔不断であっても やってみればいいんではないかと言ったっても やってみればということできないんですよ やること自体できない そのエネルギーがないんです これって性格なんです 優柔不断ということは だからまあ これがもうとにかく直さないと力が出てこないんです だから成功する見込みは全くないし で 他人に依存するんですね よくもう他人がなければ
人がなければという性格があるっていうのは これ優柔不断ということなんですね みんなやるならばやるとかね 人気者タレントがやっているならばやるとかね では情けない人生なんですよ 優柔不断ということははっきりしています 自分で決めてやらなくちゃいけないんです やることは みんなやってるんだから 流行りだからやるということは 明らかに自分が情けない 優柔不断の気持ち定まらない 依存型の人間であるということなんです
だからそういう人々は成功した人生は期待しない方がいいんです
4番目 目的は曖昧で清らかではないと
曖昧な目的だったら方法論はないでしょう
この曖昧っていうのは 自分の目的は有意義かそうでないかということをはっきりしないんですね まあ何かやるぞと決めたら これは本当に有意義でしょう あるいはこれは無意味でしょうか と これははっきり区別した方がいいんです 2つに分けた方がいいんです それを分けないで まあいいんじゃないんでしょうか もしかするといいことになるんじゃないかと このいいことになるんじゃないかということは もう曖昧ということなんですね
いえ これがすればいいことになるんだよと はっきりしないと もしかするといいことになるかもしれませんとか
そういう状態ではね だからこの目的は曖昧か否かということは 決める方法っていうのは この有意義でしょうかと たったそれだけなんです
それで汚れた目的だったら いくら頑張ってもうまくいかない可能性っていうのはほとんど多いんです
それはどういうことでしょうかね 書いてますかね 書いてます 汚れた目的の場合 良い側面より悪い側面の方が大きいんです まあ例で考えれば まあ金持ちになりたいんだから銀行強盗すると だからその場合はもう銀行強盗が目的になるんですね 金持ちになりたいっていうことも一緒ですからね 良い目的はすぐ存じて大金は手に入ります 良い側面は しかし 大金手に入る良いところ以外 悪いところっていうのはものすごいたくさんあるんですね
だからうまくいくはずがないんです 途中で逮捕されたりする可能性はいくらでもあります あるいはちょっと失敗してそこで殺される可能性もあります うまくいかない悪い目的の場合は もう社会は攻撃してこれをやらせないんですよ 銀行強盗は大胆な例ですけど 我々は色々汚れた目的で行動はしていますけど 社会はそれはやらせないんですね いろいろ非難したり 罰を与えたり いろんなことをしますから うまくいかないんです 自分が目的に達する前に不幸になったり
社会から非難を受けたりはする ですから 目的が汚れているならば もうどうしようもないんですね 挫折する羽目になるんです はい そういうことで 5番目に行きます 心の汚れより柔軟性はなくなること
能力といえば限りなくあるんです 心っていうのはすごい不可思議な 必ず不可思議なものなんですよ すべて物質的な世界さえも支配できるんです ものすごいエネルギーがあるんです 心に何ができるのかではなくて 心に何ができないのかっていうことなんです それぐらいの能力があるんです
しかし 我々の能力にはリミットがあるようですね しかし 私たちは まあやっぱり自分にはそんな能力はないんだと リミットがあると思っているんです まあ頑張ってみてもね そんなに成長するはずもないしね だから能力にはリミットがあると俗世間ではよく思っています しかし 能力っていうのは無限大でリミットがないんです
お釈迦様はたった心だけの力で この宇宙の 現れ方 なくなり方をずっと目の前で見ているように見たんだから 経験したんだから これ一回だけじゃないでしょうね ビッグバンで現れたりして またビッグカンチになって消えたりするし それを光年こうだと 1 光と数字まで入れちゃったりして これはまあ ここから私は 40個過去を遡って見たところでとか語るんです 何のこともなく 随分淡々と 嘘を言っているわけじゃないでしょうね
ある 別な宗教の行者がこの行為について質問して
天国に行くためにはどういうことをするべきか あれこれと聞いたところで あの この漁業者たちの人々がね どうでしょうかね 死後天国に行きますかと聞いちゃうと お釈迦様はこれから 20年 20 20個を遡ってみると 二人が天国に生まれたことがありますと 20個なんですよ すごい時間 1個っていうのはビッグバンからビッグバンまででしょ これ 20 見たところで 二人ぐらい天国に生まれたことがあります
その人々も行為に結果があるんだということを信じていたんだと あの いわゆる形而上学的な哲学では宗教ではなくて 具体的で 行為には結果がありますよと だから天国に生まれたんだ 大変なことですよ その質問した人はすごく驚きましたけどね なんて無駄なことを我々やっているのかと だから今 現代 我々には なんだこの話はと思うかもしれません だけど お釈迦様は心には無限の力があるんだよということはもう実証しているんです
あの広いインドで 至る所で弟子たちが修行していたんだから 1箇所で集めてもらうことはできなかったでしょうに でもみんなにちゃんと話してるんです みんなにちゃんと個人個人指導をしているんです
しながら お釈迦様は自分の人間としてのプログラム スケジュール それなりに順番で歩いてはいるんです 順番で歩いているんだからといって 遠いところにいる人に会うことできないとか それはないんです どうやってそれするんでしょうかね それは心の力なんですよ だからお釈迦様がもう来るしょうがない 遠いところにいるお坊さんでも 私にはお釈迦様はこういうふうに言われましたと はっきりと知っているんです その人の前にちゃんと現れて
もう話を聞いて どういうことでしょうか じゃあこうこうしなさいとかね ちゃんと言って それからもう帰ると帰りますけど 本当はその普通には人間に理解できないことなんですね そういうことで 心には無限の力があるんだということは だからお釈迦様っていうのはものすごい心が柔軟性でしたからね しかし 私たちにはすごいリミットがあるんですね 自害意識で心を固めるので柔軟性がなくなる 一番我々は超能力のことを置いておいて
人間としてなんで能力ないのかというと この自害意識が この幻覚がすっと自分を固めちゃうんですね
自害意識があまりにも強すぎになっちゃうと 引きこもりになっちゃうんです 柔軟性が必要なんです このいじめで自殺する場合でも 自害意識が強すぎなんですね いじめる側も もうすごい最悪ですよ 自害意識っていうのは 自分という気分なく行動すると 何かなく何でもできるようになるんですよ 私 私 自分 自分という考え方入れば入るほどもう動かなくなっちゃうんです
それで成長することはできなくなるんですよ
それでこの自害意識が これもちょっと覚えた方がいいんですね 目的に達するための頑固は強い意志ですが 頑固は成長しないんですね 自害意識が強い人に 我々は普通頑固と言うんでしょ 人の話は聞かないし なかなかめげないし 滑らかじゃないし これ違うぞと言ったっても認めないって頑固と言うでしょうね それが悪い頑固で 目的に達するための誘惑に負けないで しっかりと努力することが頑固ということじゃないんです それは良い頑固なんです
優柔不断がないということで だから頑固と言っても これは俗世間の言葉で仏教の単語じゃないんだからね 俗世間の頑固と言っても 2種類あるということで覚えてください 我々は正しい頑固でならなきゃ優柔不断なんです 間違った頑固だったらもう何もできなくて そのまま体が動かなくなっちゃって硬くなって もう人生はダメになるんです で これはちょっとテーマがすごく広いんですよ 心は硬くなるっていうことは
これはもうすごい ちょっと時間をかけて説明する羽目になります
俗世間の教育なども心を硬くするんですよ 我々は教育を受けますね そうすると 柔軟性な心がどんどん新しい概念入って入って入って 硬く硬く硬くなっていくんですよ 教育受けたならないという話じゃないんです 教育にはそういう問題があるんです 何か訓練する 何かもう何でも同じことでね 何かを学ぶ 専門知識を得るということは ある分野の概念で心を固めて 他に対して柔軟性を失うことです 特に専門世界 プロの世界というのはそういうことなんです
一つはできるんだけど 他できなくなるんです 全くも能力も何もなくなっちゃうんです 馬鹿になるんです 自分の専門以外はもう全く無知で 馬鹿でも教えたくてもできないということになってしまうんです
というわけで 教育はいいことかもしれませんだけど 教育によっても自我をしっかり固定するんです 俗世間の教育だからね それにも解決策はありますよ 今日は言わないんですけど ですから 一人に一つ二つのことしか学べ学べないんです たくさんのことを学べるはずですけど 例えば外国語にしても 時たまいますね もう 12か国語をものすごいペラペラ喋られるとかね どういう脳細胞を持ってるか なんかすごい不思議でしょ
何のことなく入れ替えたりすることはできますよ 例えばドイツ語とフランス語を同時に喋れと言っちゃうと もうおかしくなると思いますよ 思考パターンものすごい違いますよ ドイツ語で喋る場合は 考え方はあるパターンがあります 物事をしっかり先に決めておかなくちゃいけないんですよ だからドイツ人的には優柔不断はなりません 優柔不断ではドイツ語は勉強できないんです 何か言おうと思ったら 何言いたいかとはっきり先に決めておかないと
なぜならば 動詞が確実に二番目に来なくちゃいけないんです
それから動詞は長いんだったら 残りは全部最後に言わなくちゃいけないんです フランス語っていうのはそうじゃなくて しゃべり出してつなげてつなげてつなげていけばいいんです
だから曖昧でいいんです しかし 一人の人がその二つのプロになると 結構才能が必要ですよ まだイタリア語とかね また違うでしょうし これにあの もう一つ あれは何でしたっけ?アメリカで使う言語は あの 何でしたっけ?英語じゃなくて 英語よりも使ってる 何でしたっけ?スペイン語ですね スペイン語をしゃべる人の方が多いんです アメリカでは スペイン語の使い方はまた違いますからね それにそれでアジアの言語をしゃべるようになっちゃうと
それでタイ語になってくると すごいイントネーションが絡んでくるし タイ語を学んで中国語を学ぼうと思っちゃうと イントネーションの使い方また違うんです しかし できる人がいますよ だから誰かにできるということは 誰にでも論理的にできるはずなんです どうって何でも人間作ったもんだから 部長でも人間作ったもんだから なんでできないんですかね できないってことは 我々の心は固めているんだからなんです 日本の英語の教育の場合は
まあまあ あまり知らないんだけど まあ一般的にちょこちょこっと見たとこの私の偏見的な判断なんですけど よく気をつけてるポイントがあるんですよ 心は硬くするようにと だからすごいつまらない もう単純な英語の文章を書く もう宿題に出しても 確実に日本語訳は下にあるんです 例えば動詞入れ替えてくださいとかね なんとかとか もう空きがあって まあ一応一つ選んで 下にはちゃんと訳がついているんです そうすると日本語から決して頭は脱出しないんです
そこで固めてもらうんです ということは 教育者はあなた方をくたこといじめますけど 能力だけは与えてあげませんという ようすごい親切な態度で成長させませんよと しかし 地獄のように苦しませますよと 勉強する場合は で そこは私はなんでそういう偏見を持っているのかというと
自分たちも英語を学ぶ 学んだんですから そういう訳は入らなかったんですね 初めからあの 知らない単語とか何とかあったら
自分たちで辞書を引いて調べるんですけど ちょこちょこっとできるようになってくると 単語の説明も全部英語でやるんですね だから国の文字一つも質問状とかありますから 入ってこないんです だからまあ英語の授業になってくると
もう頭はその世界に入れ替えないと 私は同時にドイツ語もフランス語も昔学んでみたことがありますけど やっぱりもう最初の授業からもう他の言語は入りませんね 最初の授業は あら これ困ったもんだとかね おっかないと思ったんですけど もうなんのことない 2番目からなんのことない スムーズに行くんですね そこで心入れ替わるとすごい自動的になるんです 全然気付くもなんともないんです そこでフランス語を一緒に勉強する友達の顔を見ただけでも
頭全部フランスになって もうフランス語でしゃべる ドイツ語の仲間を見ただけでも 見ただけでも 頭の中ドイツ語が絡んでくるんですね それでもう誰がいたってもドイツ語を喋ったりするし それで英語と喋れないけど わからない人が来てくると 英語が出てくるし 国の言葉を喋らないといけない人に見ると 国の言葉が出てくるし 自分では努力もなんともしてないんです ただ自動的に頭の中を入れ替え 繰り返す スイッチ入れ替えてくれるんですね
それで日本に来たらさっぱり全部忘れちゃったんです 日本語入れると全部硬くなっちゃって
だから日本語勉強する人は一番最後にもうもう死ぬ瞬間になってから学んだ方がいいんですって思うんですけど でなきゃこれから学ぶのは全部できなくなるんだから
まあとにかく何か学ぶと頭は硬くなるっていうことはまあ確実にあります そうでない人間はいますけど 我々はそういう人々はすごい知識人でけた違いの頭の人やとかね 天才やとかね そういうふうに扱ったりします 特に文学芸の人文系の勉強は一人前になって世界的に名前を上げる場合は かなり柔軟的な心を持ってないとできないんです すごい難しいんです 科学はもう誰にでもできます もう決まって固めちゃいますから 頭をね あるいくつかの概念に
しかし 科学者の中でも世界的ですごい立場ある人々はそうじゃない 柔軟性を持ってるんです それで何でも知りたがる やりたがるというのは まあこれは柔軟 優柔不断の一種ですよ ただ単にあれもやりたい これもやりたいだけではうまくいくわけじゃないんです そういうことをやりませんだからね そういうことで この我々の心が無限に能力はあるんだけど ものすごい概念というゴミを入れて入れて入れて もう何にもならない もう硬いものにしているんです
じゃあ前のもうちょっと喋りますけど あの そういうことで心は硬いんだから 何かに挑戦するということは今はできないんだから 目的をそこで挑戦するでしょうに だから目的に達したっていうことは それなりの心の成長が必要なんです だから心の成長を無視して目的に達するということは成り立たないんです
東大に入りたいと目的を設定したら 心はそのままでということは成り立たないんです それなりの心を変えないと そこはまあ東大入学っていうのはある一定ワンパターンのものだから それで心は固まりますけど 硬くなるんだけど それでもその形に自分の心を入れ替えなくちゃあかんでしょうに それには柔軟性が必要になっちゃうんです だから目的に達するということは ある程度で心の形を変えて心を伸ばすということでもあります 硬い心は伸ばせないんですね
そういうことで 6番目に行きます 無知が自分を支配する これはあんまり説明しなくてもあまりいいと思いますけど 無知っていうのは反対は理性なんですね 我々は理性で生きるということはまずしないんです 気分で感情で生きているんだからね これが無知ですよ ですから まあうまくいかないんですね 無知な人に有意義な目的を作ることはできません 目的に達する方法も理解できません 無知ですからね ただ好きと思うだけで
挑戦してはいけないことにも挑戦する場合もあります やってはいけないことも 無知な人はやってみるんですね あの よく流行ってましたけど 外国ではね あの 何でしたっけ あれは 大麻ですかね グラスと英語で普通の俗語で言いますけどね
あの 何かそれ吸ったら頭がしっかりするんだと それで勉強勉強はできるようになるんだと 大学生やらもう一生懸命その葉巻を作って吸ったり吸ったりするというね
だからそれはやってはいけないことなんですけど 無知だから 楽に勉強したいんだから 楽に他のことを忘れて勉強に集中したいという目的で そういう麻薬を使ったりはする場合もあります そういう風にやってはいけないことまで無知な人はやるんです 目的の妨げになることも勘違いして行うこともある なんとなくする努力なので 成功には達しません だから無知な人は努力しても なんとなくやってみるというね 無知ということなんですね やってみるかという感じで
そうすると成功には達しません 初めにお釈迦様の言葉がありましたからね そんな甘いものじゃないんで 人生は 目的を決めたら もうものすごいしつこく その目的に達するまで精進しなくちゃいけないんです はい それでだいたいはワンセクション終わったと終わります それは以上 捨捨する原因
まあ時間どれぐらい行ったかわからない え? 今分です うん では続けて次のセクションやります
次のセクションはちょっとこれよりは長いんです 途中で止めることはちょっとできないんです
そういうわけで ここでちょこっと休みを入れて 次をさーっと勢いでやります はい