月例講演会

「カッコ良さ」の秘訣と条件 ~「恥を知る人」の美学~ 6

DVD番号
V-178
コレクション
月例講演会
タイトル
「カッコ良さ」の秘訣と条件 ~「恥を知る人」の美学~ 6
行事名
月例講演会
収録場所
東京:かやの木会館
講師
アルボムッレ・スマナサーラ長老
収録時間
00:14:30
言語
日本語
収録日
2007年5月26日(土)

俗世間でカッコイイと言われるの人のイメージは様々。ではブッダが説くカッコ良さの条件とは?キーワードは「慚・愧」と「貢献」。

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では 一人一人が私たちは自分がかっこいいと思いますかと まあこれはちょっと疑問なんですけど 自分がかっこいいと思う人もいるし そうは思わない人もいるし それはもう別にあまり気にすることではありません まあだから自分がかっこいいと思う 思っても思わなくても この守るべき言葉は二つあります これが生命を管理するものが二つあります 自分も生命だから自分を管理してほしいんですね

デュエメビクエダンマスカローカンパーレンティカトメデュエヒリーとオッタッパンチ これ長いんですから 文章は短くしたんです 二つの良い事柄がこの世を管理している この二つの事柄とは 斬と義である この二つがなければ 母も父も叔父もでしたっけ もう兄弟も師匠なども成り立たなくなる 世界はヤギ 羊 犬 猫の間柄のようになると 人間というのは動物と同じくなるんだよと 私はもう時々怒鳴るでしょう もう犬猫もより勝ってない もうイカイカだよとか

でもお釈迦さんの言葉なんですからね 私は知りません この二つの事柄がなくなっちゃうと

もう動物と同じなんです このなぜ犬猫取ったかというと 犬が交尾するしたくなったら 相手が母親であろうと気にしないんです 猫もそうなんです 一緒に生まれた兄弟であろうと 交尾したいとか交尾する 何の道徳もない というわけで 人間にとってはとても必要な良い事柄二つあるんだ それは斬と義というんですね パーリ語でヒリーとオッタッとというんです それだけ守ってみましょうと 自己制御ができること 最高にかっこいいと言えるのは

自己制御制御ができることです これができる人はいかなる場合でも 誘惑に負けることなく 帝王のように生きられる これも最高の格好いいと 自己制御できる 自分の管理できる 人に言われるまでは待ちません 人にあれこれやと言われるとカッコ悪いんですよ 人に何も言われなくても しっかり自分の管理できれば まあすごいかっこいいんです 一は前の教典にあったんですから ヒリですね ヒリっていうのは悪を恥じるということなんです

2番目はオッタッパというんですね 意味は悪を怖がる それで我々一人一人が恥と怖がる二つだけ守れば

もうかっこいいってことなんです ですから 恥といったっても まあ良い恥と言わなくちゃいけないんです どんな恥もいいわけじゃないんです 良い恥 一切の悪行為 社会が非難する行為 両親が悩む行為 人間としてのプライドを傷つく行為などを犯すことは

この上のない恥だと思うことです これが恥なんです 悪いことならものすごく恥ずかしいと

もう気持ち悪くなるほど恥ずかしくなった方がいいんです

高いプライドを持って 芯の強い人間として生きることですね だからそんな恥ずかしい そんなことやりませんよと 気持ち悪いでしょうと だからあなた ちょっとこれ嘘言ったらいいでしょと やりませんよと 気持ち悪いんだ いくらなんでもとか あんた あの人怒鳴っちゃえばいいんじゃないか 人怒鳴ることは気持ち悪い 恥ずかしいんだ 一度も怒鳴ったことはないんだよと言ってプライドを持つんですよ だから恥じるということは

すごいプライドあるということなんです だから結局仏教ではもう高いプライドを持ちなさいと言っているんです これ どんなプライドかというと 悪を恥じるプライドなんです でないでしょ だから母親を殺して首まで持っていくんだから 首を持ってゲームセンターのどこかでインターネットカフェでもう遊んでいるという どういう人間かと たとえ脅されても誘惑されても

プライドを守る 自分の生き方を曲げないことです 脅してもあなたこれやらなくちゃ あなたこの何て言いますか 警棒 掛け警棒というんですか 会計のをね それちょこちょことごまかしてくれなきゃ もうもうクビにするぞと言っても 悪いことはやらんと しっかり芯の強い生き方なんです 悪いことはならやりませんと

はい もうすぐ終わると思います 世間の無意味な悪になるプライドと違います 世間のプライドっていうのは悪そのものなんですよ いろんな私は国会議員だとか 私は何々人だとかね えらいプライド 傲慢で あれは悪ですよ 私は悪いことをしないのだというプライドが正しいんです いくらなんでもやりませんよと 金がいくらくれたってもやりませんと そのプライド それがなくなっちゃうと みんな悪いことをしちゃうんです

それから良い臆病 まあ臆病はちょっと一切の悪を犯すことに対して臆病になるんです

もう怖い 怖い ダメダメ 臆病とは言い過ぎかもしれませんが 悪いことをしようとすると震えて体が動かない状態になるならば 正真正銘の善人です 悪いことをしようとすると なんか体が怖くて硬直しちゃって もう腰が動かなくなっちゃうんだと それだったら正真正銘の良い人間なんです もう怖くて怯えてもう体止まっちゃうんです 大体怖くなっちゃうとみんな硬直しちゃうでしょ この場合は 悪いことをするときは体が止まるという

良いことなら何でもやる性格こそが勇気なのです 同じ人が良いことだったらもう何でもやる すぐ動く体が 悪いことになってくると もう怯えて怖くなっちゃって 体が動かなくなっちゃう 喋れなくなっちゃう 良いことだったらペラペラ喋りますけど なんか悪いこと喋ろうと思っちゃうと もうもう黙ってしまって もう喋れなくなっちゃうと いうことなんです これで生命一かっこいい人間になるんです 私はわざと生命一と書いたんです

なぜならば 皆様知ってるのは世界一ということだからね もっとかっこいいんです 世界一のところじゃなくて 生命一なんです だから初めも言いましたから 神々さえも神々にさえも褒められる生き方をしなくちゃかっこ悪いんですよ 仏教では 神に賛嘆したり 神に賛美歌を歌ったりとか 情けないと思いますよ だから有名な誰かさんが書いたアヴェマリアを歌ってるんだよとかね えらいかっこ悪いと思います 私はすごいかっこ悪いと思いますよ

アヴェマリアって曲自体がものすごく歌いにくいからくりだからね それは歌える人の方がまあなかなかの俺 褒めますけど だからといって それ本当にあの神に歌うならばね 惨めなんですよ だから それよりは逆に神に褒められる人間にならなくちゃいけない それは仏教がいうかっこいい良さなんです ですから 世界一かっこいいんじゃなくて 仏教を目指すのは生命一かっこよささなんです 生ゴミは自慢の種ではない それは説明してないんですけど

我々は自慢にするのは生ゴミなんですね もう体重はこれぐらいとか ヒップはこれぐらいとか 胸はこれぐらいとか 生ゴミ お金がこれぐらいあるとか フランスで自分のアパートありますよとか オーストラリアでも家一軒持ってますよとか テレビでよく誰かさんが来てよくそういう自慢しますけどね まあ飛行機を持ってるんだとかね そんなのは生ゴミで 今全部生ゴミだから 財産 健康 美しさ 権力 名誉 人気などは自分のものにならないんですからね

そういうものは生ゴミだと思ってください 自分はそれ全て捨てて死ななくてはならないんですからね 結局は 生ゴミっていうのは捨てるもんでしょ あったとしても 自分はそれらの奴隷になるんです そんなのは 奴隷生活はかっこ悪いんです もう明らかに 自分と一体になる道徳 知恵 人格などを身につくことが期待するべき 憧れるべき生き方です だから生ゴミ拾って俺が偉いそうではなくて 自分と一体になるもの 取った方がいいんです

いわゆる自分自身を向上することですね そうなってくると 道徳 嘘を言わないことは自分と一体だからね 真理を語ることは自分と一体だから 誰かに持っていくことはできません それから知恵 知恵も自分と一体ですね 人格も自分自身だからね そういうものは育てるんですね それが期待して頑張ってほしいと それからそれに憧れるべきですと

これで終わりと思います かっこよさは本当は正確よさです かっこよさっていうのは正確よさなんです 仏教から見ると これは相続するものではなく 自分の力で育ち上げるものです で 世間でいうね すごいかっこいい人がいるんだけど その人は生まれつき母親からもらった体だからね 相続していますよ だから他の人には共通じゃないんです 本当のかっこよさが相続するものじゃないんです 自分で新たに育てるんです

というわけで どんな人間にも生命一かっこよい人間になれます 心が美しい人は何をやっても美しいんです 太陽のごとく 他の生命の役に立つ人間になってしまうんです 心が美しいんだったら 一人一人が太陽のごとく 世の中に光を与える人間になるんです また 誰にでもできることです ポイントは これは誰にでもできますと まあ一応そんな程度だと思います 話は そういうわけで かっこいい人間になるようにと頑張ってみてください

話は終了です 時間過ぎておりますが

ご質問等ありましたら