月例講演会
「カッコ良さ」の秘訣と条件 ~「恥を知る人」の美学~ 7
- DVD番号
- V-178
- コレクション
- 月例講演会
- タイトル
- 「カッコ良さ」の秘訣と条件 ~「恥を知る人」の美学~ 7
- 行事名
- 月例講演会
- 収録場所
- 東京:かやの木会館
- 講師
- アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 収録時間
- 00:31:42
- 言語
- 日本語
- 収録日
- 2007年5月26日(土)
俗世間でカッコイイと言われるの人のイメージは様々。ではブッダが説くカッコ良さの条件とは?キーワードは「慚・愧」と「貢献」。
今 前の方から 世間の評価ということに関してなんですけれども
世間の評価ということに関してなんですけれども 例えば芸能人たちなんかは 生きてる時は人気があっても 死んでしまうとほとんど忘れられてしまうので それだけのことだと思っておりましたけれども わからないのは 芸術家で生きてる時は全然画家なんか全く評価されずに 死んでからすごく絵の位置がつくとか 人気が出ている芸術家なんですが それに関してはどういう考え方ですか
まあ大体生きてる場合はね あんまり評価されなかったっていうことは 嫌われているということなんですね だから嫌われているんだから 作品も見ようとしないんですね 人が死んでしまっちゃったんだから どうでもいいんですね それで作品を評価するんですよ だから情けないんですよ だから世間の評価っていうのはそんなもんですよ 気にする必要はないんです 素晴らしい作品を作っても 人のこと嫌いんだったら その人の作品は捨てちゃうんです
恐ろしいんですよ そこでもう気に入らない人が死んでしまってからは堂々と評価する
それでも食べ物もなくて もうほとんどもう飢えている状態で生活して もう病気になって死んでしまって それから作品は 3000万円とかね そうしたら商売やってるんです 世界が 恐ろしいんじゃないんですかね だから それがやっぱり 芸術家はね 芸術家にも頑固なところありますからね そこで評価されなくなっちゃいますよ 芸術家はあんまりにも自分のことばっかし気にする すごいわがままでしょ そこで引っかかっちゃうんですよ だから絵を描きながら
これでいい これはどう?とかね だから子供でもこれはおじいちゃん ちょっとかっこ悪い ああ そうですかね やっぱりこのじじいにはね これしか描けませんだからねとかね そんな感じのものだったらね もうみんなに嫌われませんね そうなってくると まあ生きてる間で作品は評価されます 大体人格者の場合は評価されますよ 生きてる間では そういうところです
後ろの方でどうぞ あの 4つの施しとヴィパッサナーの違い
ん?施しとヴィパッサナーの違いが ああ あの施しの場合は大体あのものとものになりますしね
それだっていうのはどちらかというとアドバイス的なものなんですね アドバイス的な 仏教でアッタチャリアっていうのは やっぱり道徳的なところになりますから えーと 例えば助けてあげることと良いアドバイスをすることというふうに区別してみればね
それかその 4つの項と前半でおっしゃったあの八正道かなというところ はいはい あまり重ならない 重ならないようですが 生徒が重なってます 重なってないものもあるんですけど えっ? 6つと 7つが どういう関係?大借手の 7項目と 4つの項目が重なってないけれど
どういう関係があるのか ああ それはあのアプローチの違いなんですよ 大食点がブッダじゃないし 悟ってもないし 大食点がこの昔 この七つの福士をやっていたんですね だから本人の専門なんですね その 7つは別々にやっただけのことで お釈迦様が真理というところで 科学的なアプローチで見たら 4つだよと だから同じことだと思いますよ ちょこちょこっと見ると まあ具体的にあの両親を養うとかもあるだけの話で 両親を養うこともある面で同地でもあるし
平等でもあるし それから施しにも入るし もう両親にもアッタチャリアね あの なんて言いますか 有意義な生き方 例えば両親に あの まあもうもうそろそろもうお年だから もう俗世間のことを忘れて心清らかにしてくださいとか 一生懸命協力するんだから もう瞑想したり 無駄なことを学んだりしてくださいとかね そういう風にいい方向へ押すことも 親孝行でもありながらアッタチャリアでもあります 論理的に論法に基づいて
良性の安らぎとか霊の人々を尊重するっていうのも論理的に法に則っている でしょう だってそういう人々が我々を育てるんだからね じゃあ噂をしないとかっていうことにも やっぱりそれは噂 大食店の項目でしょ 噂するっていうことは もうなんか人の悪口言いふらすことだから役に立たんでしょ だからアッタチャリアの反対なんですよ アナッタチャリアなんです あの人こんなことやったんだよ こんな人こんなことやったんだよという噂で 噂の場合は明らかに悪いこと
噂なんですよ 人の良いこと言うことは噂じゃないんです これ 噂の定義をよく覚えた方がいいんです 例えば人の欠点をその人がないところで言いふらす それが悪行為なんです 人の良いことをどこで言いふらしたってもいいんです それは善行為なんです それで人の悪いことをあちこち言いふらすと これアッタチャリアになりません 有益な生き方になりません そういうことだから それはもう避けましょうということですね はい 他の方はい はい どうぞ
今日のお話は 人間は外側ではなくて中身が大事だという極めて単純 しかし 我々がなかなか取らない見方を教えていただいて 大変心に響きました 私たちは商業主義の中に生きていて 人は見かけが 9割とかいう本も出ましたね 若さと美しさの方が価値があるのではないかと思ってしまう穴に落ち込んでいて ありがたいお話だったと思います 私の質問はちょっと離れるんですが 経典にもよくありますし 今日のお話にも出てきました
神々というのは一体どういう存在でしょうか 私は見たことも聞いたこともありませんが 想像上のものなのでしょうか これは私に聞いたっても意味まあ 経典にあるんだからね あの まあ仏教初期経典ではね ただもう普通人間と同じく仲間で そっちを聞いたり話したりしていたみたいで 神々っていうのは まあわからないと思ったっても 別に問題はありません あの まあ人間 生命たくさんいますよ あらゆる次元に だからこの動物と我々だけ生命と仏教は見てないんです
この肉体 細胞を持っているだけで生命と仏教は思ってないんです だから科学 生物学の世界では あのアミノ酸にできている細胞があれば生命ということになるでしょ それはあくまでも物理学なんですね 仏教の生命というのは心ですね 心があれば生命ということで だから心が 例えばこのペットボトルに宿ったら もう生命なんですよ もうどうしようもないんです そういうわけで 心っていうエネルギーはいろんなところで いろんな次元にあります
そこは9つの次元 仏教でかかってます 語ってます もうわからないのは別に気にすることはありません それはもうかなりね 人間にわからないところもいっぱいあります ただ 文学的に取ったっても構いません もう普通 我々の文化的に見れば 神っていうのは偉くてね 人間が拝んでお願い事をする存在であると 普通の 神話的に理解しても意味は通じます そういうみんなありがたがってる神が俺私のことをありがたがっているんだよっていう話なんです
うん もう大丈夫です はい ありがとうございます あの 懺と喜のことなんですけれども あの懺は悪いことをすることを恥じる はい 喜は悪いことをすることを恐れるという意味なんですけれども あの 例えばですね あの人のやったことを さも自分がやったことのようにやってしまった時にですね 要するにその恥ずかしいという気持ちが懺ということで それでそのやったことに対して
人から批判 攻撃を受けることを恐れるっていうのが喜というような受け取り方でよろしいですか これが違うんじゃないかなと思いますよ 自分が悪いことをしたならば 人が批判するのは当然でしょ 人の批判を受けることは気じゃないんです 人の批判 堂々と受けた方がいいんです しょうがない 私は悪いことしまったからと その人が勇気を持って聞くんです 逃げ回ると 自分の悪行為を隠そうとしているんですね
で 喜っていうのは悪いことをすること自体が怖いということで もう怖くて体が動かないんだと で 自分が謝って悪いことをしたと言いならば 堂々とすいませんでしたと 私が間違えましたと 非難でも侮辱でも どうぞ思い存分やってくださいと いうふうに そこで勇気を持つんです 例えば友達に言われたあなたのことを散々言われてるでしょうと 新聞でもいっぱい書かれてるでしょうという だってしょうがないでしょうと 私はそんなをやっちゃったんだからね
という態度は勇気なんですよ だからその時逃げ回ることは気に入りません 罪をごまかすことになるんです 罪をごまかすことも罪なんです 仏教では罪を犯す人間 完璧じゃないんだから いくら懺悔があっても失敗はしますよ ですから 失敗する可能性はあります しかし ごまかすなよと だから 自分の過ちを認める勇気っていうのはすごい立派なものなんですよ 認めたら一発で解決します 本人堂々と認めているんだから 新聞にももう書くことなくなっちゃうんです
逃げ回るともう次から次へと書くんです そういうことで この悪 自分の失敗を認めることっていうのは その問題はものすごく早く処理することなんです できるだけ大きくなる前に処理した方がいいんです だから火はマッチ棒にある間で消した方がいいんです それはもう火事になるまでは待ってはいけませんということで マッチ棒に火を付けたところで どんどん広げて家丸ごと焼ける もう延焼 燃焼する可能性もあるんですからね そこで火は危ないんだから
もうマッチマッチ棒の状態でサッと消すと そうやって我々何か間違いを犯したならば まあすぐそこはもうちゃんと認めて 早く処理をする ごまかしごまかすとも かなりかなり怯えて逃げることだから その怯えが悪い怯えなんです 悪行為することを怯えることが正しい立派な臆病なんです だから この懺悔の場合はすごいややこしくて 悪いものも良いものもありますからね
はい そういうことで はい それでは はいはい どうぞ
意見に貢献しようと自分が思った時に 自分がしていることが自己満足なのか 本当に自分でやっていたっていうのかを やってる時に自分で判断とかするっていうことは それで自分に疑問が湧いてきたりとかするんですが その判断というのはどういうふうにしているのか うん あのね 自分で判断して生きていられません なぜなら我々は悟ってないし 全て知らないでしょ ですから お釈迦様は 4つだよと教えてくれたんだから
貢献は 4つだよと 単にそれが論理的で具体的でわかりやすいでしょ だからそれやればいいんです 自己満足であろうか どうでもいいです そこは気にしなくても 一応自分がお釈迦様を 4つ項目を教えたんだから それやってますよと 例えば役に立つことをアドバイスしたとしても 相手には役に立つアドバイスではなかったとかね まあそれはしょうがないんですよ 私も結構アドバイスしますけど ほとんど役に立ってないみたいです だからそれはしょうがないんです
でもどうすればいいかと言われると こちらがものすごく真剣に一生懸命これでこれでこれだと言ってはあげます
そういうわけで この自分でこれは傲慢ではないか 自己満足ではないかと思うことはよくないんですね まあ我々のやり方は まあこれはお釈迦様に教えられたんだから まあ実行しようと という自分の考え方を捨てちゃうんです 捨てて 智慧の完成者の教えに従うということで そういうわけで 自分ではあまり気にしない方がいいと思います これは自己満足かどうか あれやこれやとかね まあそれはどうでもいいんだけど
やってることはいいんじゃないかっていうことでいいんです 私たちは人を批判する場合でも同じことでね あの人はただ名誉のためにやってるんだけど やっぱりそれもやってることはいいんだよと まあ自分の国でも結構そういう人々はいますよ 自分の個人的な名誉のために 人気者になるために もういろんなことをやってますけど 私はすごくすごく批判しますけど しかし 実際やってること何やというと 結構立派なことをやっているんです
それはそれはもう批判できなくなるんですね ある人はこの幼稚園作ったんです でっかくて すっごい贅沢で 自分の国でもないぐらい贅沢で作って 幼稚園に入れる子供たちは 医者の子供 弁護士の子供とか 一流の子供しか入れないんですね まあそれで幼稚園は無料なんです で 私はこの野郎 何やってるのかと まあねと思ったんだけど まあ逆に考えれば まあ立派な幼稚園ができてあって まあ金持ちの子供たちがもうただで贅沢にいろいろ遊んで
なんとか成長して まあそれでもいいんじゃないかなと思ったりはする こういうでいたいわ まあそこまで皆様悪くないんだから
あの あまり気にすることはないと思います それから自己満足ということも一概に悪くないんですよ これが逆に必要なんですよ 自分が役に立っているんだよと この充実感という私は使う単語 それが必要ですよ 何やっても無駄だよと思っちゃうと もう生きていられないでしょ ですから あんまり自己満足とかね もうあんまり別に嫌がらなくてもいいんです 自分がなんとか満足感を感じないとやりきれないんです だからそれが悪いわけじゃないんです
ただ自分のエゴで満足だけか 考えちゃうとろくなことできなくなるだけのことで その場合はブッダのアドバイスに従って行動する 決してこの充実感 まあ自分でもなかなか我ながら頑張っているんじゃないかというね 自己評価は決して悪くありません これが自分を奮闘させるために必要なご褒美なんです
それに怖がらなくてもよろしいんです
人を笑わせたり 芸術とかということで人を楽しませる ちょっと大きい声で 人を笑わせたり 芸事とかで人を楽しませるように 人の欲 怒り 愚痴など広がらないようにする 注意する これとまた違います これにはすごい才能が必要なんですよ 芸術世界っていうのは欲と怒りと無知の世界なんですよ でもたまたまありますよ 立派な作品というのはね いわゆる人間を愛すること いろいろ語っているとかね そういう 芸術の場合は結構能力が必要なんです
だから仏教の人々も芸術家はいくらでもいますよ 仏教は芸術家を重要にします と言ったっても もう仏教の世界っていうのはもうもうずっと踊りの世界なんで 結局は 自分の国でもね まあ昔からみんなよく踊って歌って もう踊り歌いが歌がない場所がないんです 田んぼであろうか 踊って歌い歌うは もうどこででも 楽しく お寺でもそうなんです お寺の法事っていうのは日本の法事とずいぶん違います 何かもう踊りがあるんです だからまあなんかおかしいんですけどね
逆にやっぱり 例えば歌がありますよ 歌の中身はすごい勉強になること 踊りでもそういう何か人の役に立つこと 何か表現しようとするんです
今日もちょこっとスリランカの伝統的な踊りの現代的なバージョンで一部見たんですけど これ昔 この我々 このインド文化を受ける前のね 昔のね 原始時代の文化のつなげなんですけど このもうこの悪魔祓いみたいな踊りがありまして で あの 蛇の神様がいて まあ蛇と言うんですね コブラと で 神様じゃない 悪霊ですね まあそれがもう人間に不幸 病気をしたりする そうするとガルダのもう霊が来て このガルダっていうのはこのもう鳥で
もうコブラを食べるんですね だから実際見ると蛇を食べる鳥がいるんですね それはもう心霊の話までもう進むだけの話で それで今日踊り見てみると なんかコソコソとこの蛇の悪霊が仮面かぶって舞台に入るんですね あっち向いてこっち向いて まああまり顔も見せないでいて どんどんもう顔を見せたりして もう踊ったり 我が物の感じで踊っていると それであんまりにも踊りすぎになってくると ゆっくりとガルナの仮面かぶってる人が美しく入るんですね
まあ鳥だからね 手も広げて美しく入って それでお互いなんかもう戦いで踊るんですね それでどうせあのガルダが悪霊を食べるんだからね これで人間が幸福になるというイメージで その時はもうすごく可愛かったのは このガルダ まあ一応もう踊りでこの蛇を攻撃して もう蛇の仮面かぶっている人はしゃがんでまた踊ってるんですね そうすると向こうはあっち向いてこっち見て なんかすごい心配そうな顔で この仮面をそういうふうに感じるように仮面を振っちゃうんですよ
だからまあそれすごい可愛かったんですけどね で それで連れていくんです もうもう負けたところで だからそこでこの悪を攻撃しても むちゃくちゃ怒りで攻撃するんじゃなくて まあこんなことで困りますからということで いい加減やめろというね でいて もう倒れた蛇に対しても なんか心配そうに見ているというね だから何か微妙に学ぶものっていうのは入ってるんですね だからこの芸術はダメってことでもないんです 難しいんです それでも別れの歌は簡単ですよ
で 僕にとってはすごくつまらないんですよ もう 30年ぐらいの歌 ずっと見て同じ歌なんですよ あなたのことは世界一好きだよとかね あなたがいなかったら生きていられませんよとか 何て歌をよく歌うこと つまらないんじゃないかなと で 自分の国ではそういう歌は大体まああるんですけど ある一部のセクションのそういう歌を歌わない 今日も一つ歌を聞いてるんですけど 朝 その歌にあるのはスリランカの最近
バレンタインの習慣が強引にこの金持ちの連中が紹介をしているんですよ
それに対して歌なんですよ どんな歌かというと 何やってるのかと 恋人にバレンタインデーがあったりして 母親に母の日があったりして いい加減にしろよと バレンタイン あなた戻って自分の国に戻ってくださいと いらんと我々には 私たちの母親は 24時間 朝晩朝も晩も 365 日間我々のことを心配しているんだよと ですから 我々には毎日母の日だよと ですから あんたはどうぞお帰りなさいって歌なんです で もう一流の歌手ですけどね
もうトップランクのね だからもう歌唱力はトップランクで 歌もよろしいし 音楽もすごい もう誰の真似でもない作品であるし 中身もなかなかなもので バレンタインさん 自分のを家へ戻りということで 最後のフレーズで終わるんです 怒るんですね この歌手が なんてことですかと 母の日があるということは とんでもないことを持ってくるんじゃないんだよと 母は 365 日間頑張ってますよ 心配しているんだよと そんな感じ だからいろいろ社会の問題とかね
扱って そこで歌一つ作って踊ったりするとかね 何か役に立つようにしようと頑張っているんです 文化的にはそれで結構売れます 日本ではやっぱりあなたを抱きしめたいと言わないと なので私もそういう歌を見ていますけど 君に抱きしめたらすごい気持ち悪いでしょうと 歌も下手でしょうし とかね もう歌唱力もあまりないし それで決まってるパターンで振り付けを覚えながら これ感じますからね 頭でこれ振り付けいろいろ覚えながらもやってるんだからね
やっぱり気持ち悪くなるでしょうとね って思っちゃうんです まあとにかく難しいことは難しいんですけど できるだけ人の役に立つ 人に何かメッセージを伝える芸術であるならば素晴らしいと思います それでは今後のことも
今後の思う 仏法僧の三宝に礼拝敬し 愛護の祈り 比丘の瞑想とヴィパッサナー修行によって生まれたこの功徳を 神々 先祖 祖父母 両親 親族 恩師をはじめとし 一切の人々及けものに回向いたします この功徳によって すべての人々が幸福に暮らせますように そして解脱を得られますように サッビーティヨー イワンジャントゥ サッバローゴー イナッサトゥ マテー パワットワンタラーヨー スキーディーナー ユコー バヴァ
バワトゥ サッバ マングララン ラッカントゥ サッバデーヴァター サッバ ブッダヌバーヴェーナ サッバ ダンマーヌバ
ーヴェーナ サッバ サンガーヌバーヴェーナ サダー スッティー バワントゥテー アビワーダナシー ヒッサ ニッチャン ワッダー パチャーイノー チャッターロー ダンマ ワッダンティー アユワンノー スカンバラン サーティ サーティ サーティ では どうもありがとうございます
[鳥の鳴き声]