月例講演会

楽しくったって苦しくったって ~「ジェットコースター人生」にも、賢者は動じない~ 4

DVD番号
V-179
コレクション
月例講演会
タイトル
楽しくったって苦しくったって ~「ジェットコースター人生」にも、賢者は動じない~ 4
行事名
月例講演会
収録場所
東京:かやの木会館
講師
アルボムッレ・スマナサーラ長老
収録時間
00:14:03
言語
日本語
収録日
2007年6月23日(土)

人生山あり谷あり、楽じゃありません。俗世間の激しい「揺さぶり」や「浮き沈み」にも動じない心構えを仏典から学びましょう。

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真の幸福の道 一切の物事に執着を捨てることで 生きることを choice することで 真の幸福が現れる それで世の中は苦しみ 引っ越しすれば幸せですよと聞いたら あんたどこまで引っ越しするのかと 苦しみから苦しみに引っ越しするのは幸せですよ そうすると無限に引っ越しなくちゃいけないんです どこへ引っ越したっても苦しみだから だからそれが幸福の道ではありません 幸福の道は この執着するところにあるんです

生きることを choice するところにあるんです 安らぎの順番では この順番があります ただ さっさと順番変えて終わります 眼耳鼻舌身の対象に依存することを極力控えてみる 眼耳鼻舌身に依存することは極力控える 必要なところで終わった方がいいんです それはまあ 経典では何のこともなく もう欲から離れてなんだらかんたら書いてるところですけど 感覚の苦が減ります 結構減りますよ 苦しみ ストレスも疲れもなくなります

感覚にこの激しい波動が振動ないんだから ストレスもないし あの心臓的な波もなくなっていくんですよ 結構 思考妄想を制御する 次に二次的な苦しみ 一次的な苦しみをまあ極力控える それは消すことは不可能です 現実だから しかし 二次的な苦しみに次に挑戦する 思考妄想を制御する 二次的な苦が消えていきます 巨大なスケールで安らぎを経験する そうするとすごい安らぎを経験するんです 極限に弱い心は依存することはやめません 我々の心は極限に弱い

だから俗世間は娑婆世界ほど楽しい世界ないでしょと勘違いしている 依存したいんですよ 心が弱いんですよ 心を徐々に強くするんです それで前も説明したでしょうね 幸せを感じたければ もうむちゃくちゃ弱い心を持ってくださいと そうすると何にでも感動できるんだよと でもそこは付け加えますけど だから 弱い心で物に依存することは幸せじゃありません その代わりに心を強くするんです 依存しない心にするんです 依存が減るたびに安らぎ

だと心は経験する この心の依存が減れば減るほど安らぎだなと感じるんです

無常の情報の流れが自分に無常の感覚の流れを作っているということを発見する 次の順番 まず心を統一して 妄想も控えて安らぎを感じてほしい それから感覚が触れては消えていること 触れては消えていることが見えてくるんです 流れやと 安らぎないとこれ見えてこないんですよ

私は感覚の流れに対して使用する単なる言葉で

これ間違ってます 何の実体もないのだと発見する 何にではなくて 何の実体もありませんと 私はという このこれは鍵かっこに入れてますよ 私は私はいつでも主語を使っているでしょう これがただの言葉ですよと 実体ないんだと 感覚の流れだよと 例えば荒川というために荒川のどんな水でしょうかと聞くと そんなのはないでしょう ただの水ですからね 執着不可能な感覚に執着するから

限りのない苦しみとゴールのない幸福の探求が行っていたことを発見する 次に何に発見するか よくバカなことをやっていたんだと発見します 執着不可能ですよ なのに執着していたっていう だから苦しんでいたんだ なんてバカかと 自分が ヴィパッサナー瞑想をやっている人々は もう最終段階になってくると このアホなことどこまでやっているのかと この繊細することって なんてバカかと こんな執着 よく執着したもんだなと すぐすぐ消える感覚に

私がいないんじゃないかという気分になります 心から執着が消え 完全な安らぎに達する 執着が消えることも 自我が消えることも同じことで それで完全な安らぎということを心は経験するのです だから心はすごく強いんです それから裏にある深層の波が これはきれいさっぱり消えるんです しかし 上の波があるんです 悟っても誰かに殴られると痛いんですよ それでその説明 覚者の苦 体に触れるものによって 一時的な苦も楽も現れるんです

たとえお釈迦様であっても 蚊に刺されると痛いんです 暑い時はお釈迦様も暑い暑いと言って川に入ったりとか それで森の中に入ったりして それでも夏が長くて もうお釈迦様ほとんど寝られませんでしたけど まあ昼寝でもしようかなとか 苦しい やっぱり苦しいんです 一時的な苦しみはあったんです 苦いものは覚者が覚者食べても 俗人が食べても苦いんです 覚者は 覚者は苦い味だと知って終わるんです あ 苦い味だなと 感覚も食べるものも無常だと知る

それで悟った人 そこ人は 1次の苦から 2次の苦も 3次の苦も作る悪循環に突入する

苦いものを食べた一般人が あー嫌だ こんなの私はすごく食べたくない なんで食べなくちゃいけないんで いろいろ妄想するんだから もっと美味しいものはないんでしょうかとか この人わざと苦いもの作ってくれたんではないかとかね 人間にそんなことしていいのかどうか あんた料理下手ではない?いろんな苦しみ作るんですよ 2次的な苦しみも 3次的な苦しみも 皆様 一般的な仏教の世界では 一の一の矢と二の矢の話を聞いているでしょう

今度は 3番目の山ありますけど 今日はそれを紹介したんです

ですから まあ終了 我々はどうしましょう 我々は自分の自由をね 確保しましょうということで 情報によって心が喜んだり沈んだりすると自由はありません 外から入る情報は私たちの心を支配しているんです 情けないんですよ 自分自分と偉そうなこと言ったっても 情報に支配されているんです 自分の心は他人の他のものの勝手なんです 自分の心が他人の勝手ですよ それでいいんですかね 他人に何でもできますよ 自分の心に対して怒らせることも

楽しませることも やりたい放題 我々はなんか猫に捕まったネズミのような生き方していますよ 自由はないんです それは情報に依存することなんです 奴隷になって惨めに生きているんです ですから 俗人の生き方は抜群な幸福な生き方じゃないんです ビル・ゲイツさんであろうが ブッシュ大統領であろうが 誰であろうが 奴隷の奴隷なんですよ ね いじめに生きているだけ 自由がないんです 眼耳鼻舌身意に色 色声香味触法が必ず絶えず衝突する

それはもうどうしようもない しかし 外の情報によって心が動揺しないようにと気をつけることが 自由を確保する唯一唯一の道です 音が触れても まあ気にしないことにするぞと 食べたものはちょこっとまずくても まあ気にしないことにして 栄養あるんだから じゃあ食べるそうとかね 人がいろんな嫌なことを言っても まあ音ですから まあいいんでしょうということで 心の自由を増す増すんですよ 例えば人が私を怒鳴る その人の狙いがわかるでしょ

私を怒らせたいんです 侮辱したいんです こちら気にしなきゃ誰の勝ち?こちらの勝ちでしょう

あなたみたいな人間はもうとんでもないとか あれこれと言ってもね もうなんて失礼な人でしょうかとかね 別に あ そう なるほど で終わっちゃったらどうですかね 誰が勝ってますかね 自分が勝ってますよ こちらなんてそんなことを言うのかとか そんなこと言ったって もうこれはこうであれでとか攻撃しちゃうと負けてます 逆も同じですよ なんてすごい人ですかね あなたに会うことができて 私は大変幸せです 言われるとこっちが舞い上がっちゃうでしょうに

負けてます 全部自由がなくなるんです そういうことで気づくんです 情報に操れないように 心動揺させない人は 外の世界を明確にする賢者なのです 面白いことあるんですよ 人が言うことは全然受け入れないで 音だけにすると 面白いことに その人は何を感じているのか どんな狙いでいるのか どんなことが喋っているのか それを上手に喋っているのか下手なのか 言ってることは順番正しいのかないのか そこまでわかるんです しかし 全然怒ってないんです

受け入れてもないんで だから人の話を受け入れないことで馬鹿になることと逆なんです 相手がカンカン怒って怒鳴っているのに あのね ちょっと文法間違い それはそうじゃない これでしょうと教えてあげれば 私はよくやりますよ もうあんた言ってること ちょっと理屈が成り立ってないから これでこれでこうだと言ったらこうこうなるんだけど あんた言ったらこれでこれでこうなるっていうことで 本人はどうしようもなくなっちゃうんです

せっかくこちらは怒鳴っているのに 別なこと言ってます だから聞き入れないと ちゃんと聞いたり見たりするんですよ 主観的な世界がなければ全部見えるんです

で 終わりです はい まあ結構時間になりましたけど ありがとうございます