月例講演会
「誘惑」の正体 ~仏教徒にとっての「悪魔」とは?~ 7
- DVD番号
- V-180
- コレクション
- 月例講演会
- タイトル
- 「誘惑」の正体 ~仏教徒にとっての「悪魔」とは?~ 7
- 行事名
- 月例講演会
- 収録場所
- 東京:かやの木会館
- 講師
- アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 収録時間
- 02:42:00
- 言語
- 日本語
- 収録日
- 2007年9月29日(土)
仏典でマーラ、パーピマンなどと呼ぶ「悪魔」。私たちを不幸に陥れる「誘惑」に打ち勝つため「悪魔」の正体を暴きましょう。
はい それから最後のセクションに入ります 仏典に出てくる悪魔 お釈迦様がよく悪魔について語られます
ものすごいこのマーラということ マーラの領域 まああれこれと魔王とかね いっぱい単語を使って語っています 決してまああの この一神教 一神教で言っているような もうとんでもない敵のせいでという変な考え方じゃないんです ほとんど文学的な表現で あるいはまあ語りやすいということもあります
六つの感覚器官と属 属 コンテンツ 六つの感覚器官から情報が触れるということ ルーパサッダーガンダンラサーガンダパッサダンマーチェケーラエタンローカスミンゴーランエッタローコウイムッチと
色相にこう触れるもの その他の現象 いわゆる法ですね これらはこれらはこの世で生命において恐ろしいものである 世はこれらに夢中になっている 世っていうのは生命のこと これ見えるもの 聞こえるものあるでしょうと これってえらい怖いんだよ だって見えるものねって心の中で欲が生まれたり 怒りが生まれたり 煩悩が生まれるんだから 怖いんだ 何か聞くと心はどんな変化を起こすかと 知った問題ないんですよ 大変です しかし 私たちはそれを知らないで
見えるものに 聞こえるものに夢中 美しいものを見たい 美しい音を聞きたいと 美味しいものを食べたい 美味しいものに触れたいと夢中なんです エータンチェサマティッカマサトブッダッササーワコマーラデイヤンアティッカマーディッチョービョーチェティ
これら六感に触れる方に執着することですね を 気づきが ある必要 ある仏弟子は乗り越える ちょっとある入れときます この眼耳鼻舌身に情報が触れますよ 怖いんです これで心が汚れるんだから これでもの大変なことになるんで 自分の体の中 なんか放射能があるところにいるような感じなんです
放射能が入って入って体を壊すんだから で いつでも見えるもの 聞こえるものという放射がもう体にずっと触れてるんです で 心が汚れてるんです 怖いこと しかし 仏弟子たちは 執着しない ものを見えても執着しない 気づきを持って執着しないことにする ことを聞く 聞いても執着しないことにする 乗り越えるんですね 悪魔の領域を破り 太陽のごとく輝く と こっちは悪魔が出たんですね この領域っていうのは この国なん禁断ですよ
悪魔の王国に我々は住んでいるんです
だからこれ 国を破って出ていくってことは大変難しいんです 国の国民だからね 魔国の
魔国 魔国の国民だから 国籍を変えなくちゃいかんだからね しかし 仏弟子たちはちゃんとこの六識 なんで魔国にしてますかというと 六識に我々囲まれているんだからね 眼耳鼻舌身の情報に囲まれているんだからね これ破りますよ 破って太陽のごとく輝きますよ 正直と勝負 イェージャコーサンマダッカーテダンメダンマノワッティノテーラナーパラメッサンティマッチュデーヤンスドゥッタラ
また悪魔が出るんです 正しく語られた これは知ります 真理 正しく語られた真理を知り
それに従うならば その人々は天命を乗り越える 悪魔の領域は越えがたいものである これ歌ですよ 大体今までずっと喋ったことをすごくまとめて縮めてありますね
この毒色の毒 毒式の問題と そこから出てくる愚痴の問題 存在輪廻が悪魔 存在そのもの 輪廻そのものが苦しみの限りのない回転です 人間が徹底的に悪いものに 悪いもの良いことは微塵もないものに悪魔と名付けるので
だから世の中は悪いものに悪魔と言うんです 良いことっていうのは 微塵もないことない人にサタンやらルシファーやらなんとか言うんです 悪魔とかね お釈迦様が輪廻そのものを悪魔だと単語の定義変えたんです
神に逆らったルシファーという天使がもう完全に真っ黒い悪魔なんです 微塵もないんだそうです いいことところ という風に世の中で言ってるんだから お釈迦様が完全に悪い輪廻そのものに悪魔っていう名前をつけたんです 悪魔は輪廻だよ だからお釈迦様が借りたのは神話ではないんです
単語とその意味だけ それで悪魔っていうのはいろいろいるんです 1 これから仏教の話 カンダマーラ 体を構成している五蘊に人は執着する したがって五蘊がマーラです いわゆる私は悪魔ですという意味なんです 体が構成しているのは肉体と感覚と概念と それから心っていうですね 1つ色受想行識と衝動がありますね それで 5つ 我々はそちらにすごい執着しているんです それで輪廻転生になります だから この体そのものが 体って言ったってこの心も入ってます
悪魔です それはカンダマーラというんです 2番目 キレーサマーラ 煩悩 感情に誘惑されて苦の世界を彷徨っているから感情がマーラです それから感情に奴隷化されているでしょうに 感情で考える 感情で生きている ですから 感情そのもの 煩悩そのものにも悪魔と呼ぶんです 3番目サンカーラマーラ 因縁によって現れる無常不苦無我である 一切の現象はマーラです 一切の現象 心も体も物質も宇宙も何でもかんでも 全部無常です 無害です
空です ろくなものじゃないんです だからすべてのサンカーラが現象はマーラと言うんです これ 3番目の悪魔です 4番目 マッチュマーラ 生まれたものは必ず死ぬ これこそ避けたいという努力は生きること 必ず死ぬんだけど 避けたいんです この避けようすることに生きているということをするんです しかし 確実に死ぬ 命は死によって抑えられているから 死はマーラです この場合 ちょっと言葉が似ていますよ マーラとマーラといえば 死にパーリ語で使います
世界でも同じことですけど だから我々は誰かに首きというか 首に鎖つけて足に鎖つけて繋いでいるように 誰かに掴まれているんです 誰かというと死 逃げられません 死が我々の両手 両足 首 もう何でも もう鎖で破れない鎖で繋いで繋げています だから人 生命の死も悪魔マーラというんです で 5番目デーヴァダッタマーラ 天界に仏道修行を好まない 修行の邪魔をする神々がいる その一部の神々にもマーラというんです 邪魔やという感じでね
これってそんな不思議なことじゃなくて まあ大体まあみんな同じ意見じゃないんだから まあ嫌や この修行する連中はっていう神々が天界にいるんですね だから何か邪魔をするんです それは一般人には邪魔しません だから気にする必要はない もう本当に悟るために 解脱するために この五智を変えるために修行する人々にあえて邪魔をするんです ヘリの宗教を修行する場合は関係ないんです どうせ悪魔の世界だからね だからちょこちょこ瞑想していただかれて
悪魔は悪魔の神々が来るわけじゃないんです 本気になっても愚痴を破ろうとしていると ちょっと何かいたずらしたり 何かやったりはする どうもイライラするみたいです しかし 大体はもうそこはそんなにどうったことはない もう簡単にもう向こうはこし上げます そういうことで 5種類のマーラがいるんです 次に悪魔の軍 軍隊 軍隊の悪魔がいるんです この場合は軍隊っていうのはあるかな 悪魔の環境で自分も悪魔として生きているから
善行為をすることさえも難しい 環境が悪魔でしょ 私が 私が悪魔と言ったってもね 私だけっていうことじゃないでしょ それから人間でなくても 自然環境も自分たち悪魔でしょ 花を見て喜びを感じるわ だからそうどうしようもないんですよ だから悪魔の環境の中で悪魔で生きているんです だから ちょこっとしたつまらない良いことでもするのは大変難しい
ちょっとした良いことをすることもものすごい難しい だからよく言う 1日1善でもしてくださいと とんでもない話ですよ 1日1善というということは 1日中悪いことになってもいいということなんです 1個だけいいことをして 他何やってもいいという だから私の分析ではそうなりますけど これは禅の言葉ですけど よく考えてみるとね もう最低 1日 1個だけでもしなさいということでしょう それもやらないでしょう 1日1善 私から見れば何やこれということ
1日1善ですか ということは ずっと悪いでいいんじゃないのかという話ですけど それでも人間は 1日 1個の善行為もしないんです しないのは何でしょうかね やっぱり難しいんですよ そんな気にならない 我々は自分悪魔だから
これできません だから 修行はなおさら難しい もう修行のことはもうものすごい難しい 勇者の忍耐 努力が必要になるのです だから修行するというと かなり勇気を振り絞らないと かなり覚悟をしないといけないんです
自分が自分自身と戦わなくてはならないんです 自分が悪魔だから すごい難しい 自分で自分と戦って 自分 悪魔を倒さなくちゃいけない それも自分なんです だから悪魔との戦いっていうのは 自分が自分との戦いなんです そういうわけで 仏教もこの他宗教でどちらでも育っている一般的な言葉を使います 悪魔と戦いましょうと しかし 宗教でいうような人間の闘争本能を応援しているわけではないのです
そこで戦争をイメージして語るのです もう戦いです 戦争をイメージして語るのです 悪魔の軍隊 釈尊が修行中 悪魔の軍隊と一人で戦って勝ち抜いて正覚者になったのです 苦行中は三回も死にかけたのです 生きていた いわゆる何にも達しないで死ぬよりは生きていた方が良いのではないかと心の揺らぎもありました
お釈迦様の努力っていうのは 誰にもできないということになってますから 苦行とかね 悟るために苦行はいりませんだけど 知らないんだからやってみたんです だから初めはお釈迦様の愚痴なんですよ 愚痴で悟りたい だから苦行やってやるそうで 結果がなかったんです 六年ほどんと苦行なんです だから死にかけるんですよ それで苦行は結果ないということでやめて 普通の瞑想で悟りましたけど だから心は結構揺らぐでしょう
このこの調子ならもう明日も体持たないんだと まだ悟るという見込みもないんだと というか ただ単に死ぬだけでしょうと 生きたった方がいいんじゃないかなとか 心の揺らぎはあったでしょうね 勝たなくてはならない十種類の軍隊を制する それで自分を なんていいますか 奮い立たせるために 勇気を出すために お釈迦様も王家の人でしょ 王子でしょ だから戦争の技術というかね まあ武術はもうプロなんです だからお釈迦様にとっては古の頃から学んだ世界で
武術っていうのは だからこれは戦いだと 自分との で しっかりと軍隊は誰なのか 敵軍は誰なのかとはっきりとしたんです よし わかったと これぐらい軍隊十軍なんです 十字軍じゃないんです
そこを紹介します カーマテパテマーセナドゥティアーアレティウッチャティ
タティヤコッピパーサーテチャトゥッティチャトゥッティタンナーパウッチャティ 汝の第一群は愛欲です 興味が失うことは第二群です 私は今日 1 日中これでやられていたんです お腹がすく 喉が渇くってコッピパーサ 第三群です 活は生き続けたいということ 渇愛が第四群です しっかりと敵軍をしっかりと区別しております
だから頑張る人にとっては邪魔になるものでしょ お腹がすいた 例えば森で修行するとする お腹がすくたびに食べるものはないでしょうに もし 2時半ぐらいでお腹がすいたならば またすっごくお腹がすいたまま朝次の日までいなくちゃダメ 托鉢に行くために 嫌だ やめたと減速するそうと思っちゃえば終わりなんです そういうわけで そういう人間修行すると出てくるいろんな障害を群体にして分けてるんです
これで四群まで説明しました パンチャマンティーナミッタンジェチャッタービールパウッチャティ サッタミーリチキッチャーテマッコータンボーッティアッテーモ でお前という風に 汝という風に言ってるんです 汝のという感じで だから昏沈睡眠は第五群です 汝の 恐怖感 怯えが第六群です 第七群は疑いです 他人を見下す気持ち 強情 頑固は第八群です
これよく勉強になりますよ だから我々でも何かやると この十群でやられますよ 疑いでもあんまりもうはっきりしない 優柔不断で何もできんでしょうに あるいは昏沈睡眠で眠く眠くてだるくてやりたくないなとかね 寝たいなとか それで何もできなくなるんですよ 修行するとなおさら攻撃 攻撃するんですよ 眠気が攻撃するわ お腹がすいた 喉が渇いたどうかなるわ だからそれをはっきりした方がいいってことです
ラーホーシローコーサッカーローミッチャーランドジャヨーナスヤスオーヨーチャッターナンサモッカンセーパレーチャールジャーナティ
利益って収入のこと 供養 人々からいろんなものをもらうことなんです それが八群ですね 8番目 ごまかしで得る名誉 大体みんななんとか工夫して なんか褒めてもらいたくて 人気を得たくて頑張っているんです これも一つの悪魔なんです 自分を持ち上げて他を軽視する行為 これは 10番目の群体です これが汝のと言ったっても 他人のじゃないんです 自分なんです この悪魔は 自分の心にその十群がいるんです それでなんで悪魔という第三人称で語るかというか
この第一人称 二人称で語るのかという 汝の やっぱり周りも同じ十群で我々を誘惑するんです 寝ようよ もうまあこの時間だからとかね 修行すると何か食べようとかね それで自分も同じでだからすぐこう繋げてしまいます そういうわけで 悪魔という言葉を使った方が便利なんです なんとなく外から攻撃されているような気分もあるし 中身から自分ではないかという気分もあるんです だからこの両方考えてるんです 私たちは自分が悪魔だから 十群は自分持っている
しかし 周りから影響を受けるんだから 周りにもその十群がいるんです そういうわけで 悪魔にしてしまってるんです それは一つの表現の仕方なんです エーサーナムチテーセーナーカンナカンナッサーヴィッパパハリニー
ナナンアスーロジナティジェッダーチャラバッテースッカホロホロ すごい難しいパーリ語ですごい古い ナムチよ 悪しき者に仕える軍はこれです 決して勇者ではないと勝てないのです しかし 勝利を得られたら幸福になるのです このナムチヨっていうのはもうナンジョと同じ悪魔の名前なんです 本当はナムチっていうのは神の名前なんです あの邪魔をする まあこの場合 まあいいやってその名前を入れてるんです 別に この神様に名乗ったら怒られるかもしれませんけど
もっと邪魔してやるぞと言ったって そちらも同じことやってますから そちらに文句言えません
それからもう最後 これはもうちょっと余分に時間の余ったら説明しようかなと 余ってないんですけど 時間 どうしますかね ちょっとしかないんです あの悪魔との対話というね 経典の一つ 言わない文句で出してもありますね 中村元先生とかね 確かにあります あれって何なのかと 相手役として悪魔はよく登場します 仏教で その時 悪魔の役は世間の一般論 常識的に正しいと認めていることが事柄を釈尊に異論として出すことです
だから仏教にも悪魔がないと成り立たないんです 結局は それで悪魔の役目は 世間の人々の考え方を異論として仏教に出して攻撃する
それで仏教は答え出しています 例えば 財産があること 子孫がいることこそが幸福である これは世間論でしょ 財産がいっぱいあれば
まあいい子供がいればなんて幸せでしょう 世間と それから命を粗末にしてはならない 喜ばせるべきで せっかく生きているんだから 楽しんで喜んで生きてみなさいよというのは世間論なんです そういうのをブッダに出すんです 悪魔が お釈迦様はすごく説法するのです
世間の見解と真の幸福に達する真理の世界は正反対であることを示すところです
だから悪魔でなきゃダメなんですよ 目連尊者が来たり サーリプッタ尊者や仲間が来て あんたこう言ったってもこうではない それ言えないでしょうに 最低アーナンダ比丘がこじでもこうする 王にもお釈迦様が言うことはちょっとおかしいんだよ 言えないんですよ だから悪魔を登場させるのです だから遠慮なく仏教に攻撃できるんです
仏教は世間に対して皆様に法を教えているから 当然法は悪魔との対話になるんです だってみんな悪魔でしょうに だから仏教はやっぱり悪魔との対話で成り立っています だから日本で私の話を聞いたっても いろんなこと 皆様のことをあれだ なんでこんなことするの?なんでこうなるのかとかね なんか皆様の日常茶飯事 生き方をが攻撃されていますよね 働くなよとかね なんでこんなに怠け者でしょうかとかね だから仏教を語る場合は
これはいつでも悪魔との対話になるんです 真理知らないんだから 皆様にしたっても 世間の常識というところにいるんです これで説法でも聞いてやろうかなと思ったら くたくた攻撃されるんです 一つも賛成してくれない ああ よかった あなたも同じ意見だとか一度も言われませんよ これからは ただ 前の質問があったように こういう風に理解すればよろしいでしょうかと聞かれたら 正しければその通りでよろしいと言うんだけど
ああ よかった 同じ意見でということになりません かなりやられます 不幸 はい それで終わりと思います 不幸の落とし穴を 自分が掘っています
地獄の蓋を自分で開けてるんですよ 自業自得 自得とは正しい法則です 良いことにせよ 悪いことにせよ 地獄が自業自得なんです 自分以外に真犯人を探さないこと それが結論です 終わりです
ありがとうございます