月例講演会
身も心もスッキリ軽くなる、「捨て方」の極意 ~賢者は正しく「始末」をつける~ 2
- DVD番号
- V-194
- コレクション
- 月例講演会
- タイトル
- 身も心もスッキリ軽くなる、「捨て方」の極意 ~賢者は正しく「始末」をつける~ 2
- 行事名
- 月例講演会
- 収録場所
- 東京:かやの木会館
- 講師
- アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 収録時間
- 02:07:00
- 言語
- 日本語
- 収録日
- 2008年12月23日(火)
仏道では、心の中のゴミや不要物を「捨てる」「手離す」ことを奨励します。そのために必要な、「心の訓練」「智慧の開発」とは?
はい それで仏教的なところに入ってみると この行進を止めてほしいんですね 観察というGPSで位置を確認してほしいんです GPSご存知でしょうね 自分がどこにいるのかという確認している 車についているやつですね
で 観察するということは 自分のGPSなんて人生の それで自分がこの行進する道でどんな辺に位置にいるのかということは発見することが必要です
はい では旅の始まりということで 必要なものがあると感じたから 生きる旅が始めたんですね これ GPSの確認ですね 我々は生きる旅はなんで始めたのかというと なんかいろんなものが必要になっちゃったんですね それで生きることをスタートするんです しかし 必要なものとは具体的にという不可欠な 確認ポイントを無視したのです
ちょっとなんかちょっと簡単でなくなっちゃったみたいですね で 命が生きるということは 我々は必要なものを探すことなんです それは生きることです だから 生きる旅の始まりは必要なものが生じたことなんです まあ例わかりやすい例にしますけど 後で来るかもしれませんだけど 赤ちゃんが生まれる 生まれた瞬間で赤ちゃんは産気づいなっちゃうんですね
そうすると酸素が必要ということになっちゃうんです それで赤ちゃんがオギャーと言って もう命が始まるんです それから死ぬまでやってます いろんな仕事 だから必要ですよ 必要ということなんですね ネセシティー あのネセシティーっていうのは この想像力の親という英語のことわざがあるんですけどね まああまり合ってないと言いますけどね これがもう悪魔的な生き方の親なんですけど しかし我々は必要って何が必要という これに答え出さないんですね
だから GPS で自分がいる場所を確認していないんです いる場所っていうのは 我々生きているものだから いる場所はどこでもいいんだけど 自分に必要なものは具体的に何なのかと それを確認しないと生きていられないんです やみくもに探しただけで ものを貯める生き方になって 溜まったものの中に潰れかけているんです そこでとにかく必要ですが 何が必要かよくわからないんだから とりあえずいろいろもう取りまくおると いう生き方なんです 生きる
生き 生きて生きる必要があるんだ 生きるために もういろんなものが必要だ いろんなものって何?わからない だったらもうとりあえずもう必死になって 何でもいいんだからもう獲得しなさいと そういうことで 何でも取って取って取って潰されているんですね もう動かなくなってるんです 人間が なぜ必要と生きることに何かが欠けているので
その何かが必要になるんです で もう皆様 今 今日明日もうね お祝いする宗教ではね この命というのは神様が作ったというんだからね あれもうもの最高 最低の下手な神様で命を作ったんですけど いろんなものを欠けているんですね 生きていられないんですね だから命を 生を取ったところで まず見えるのは あらゆるものは欠けているんですね もう成り立たない命は だからもう何としてでも必死でこの欠けているものを入れないと
壊れるんです この欠けてるのは何?それがなくては決して生きていられないのでしょうかと
それを調べなくちゃいけないんですね 我々に欠けているものは何でしょうかと また なくても間に合えるものはあるんですかと また 生きることに問題はないが 少々アクセント 塩コショウ少々かけたのですかと また 何も欠けてはないが 他人と差をつけたかったのでしょうかと これ微妙にわからなくなってしまったんです 私は あの 普通 経典的で言えば 必要なものは分析してほしいんです 1 不可欠なもの 2 不可欠と言い難いんですけど
あった方が便利なもの いわゆる間に合える もう何とかで間に合うことができれば まあそれは 2番目 ちょっともうちょっとアクセントをつけるために 人生に必要なもの じゃあわかりやすい例で言いましょうか 服が必要ですけど まあ気に入ってる色にする 別に色はどうでもいいんですよ 服 服だったら だから色はデザインのアクセントなんですね 必ず必要というわけじゃないんです 服は必ず必要なんですね だから服が必ず不可欠ですが
色とデザインはちょっとした塩こしょう それがなくたっても大丈夫という その理解が必要なんです そこで 4番目 ただ差をつけるために頑張るんですよ 別荘を作ったりすると そうすると他の人々に別荘がないんだからね 結構立場が差をつけられます まあそういう感じで まああるいはもう高価なアクセサリーを買ったりするとかね
で カバンはやっぱりブランドのものにするとか それでも差をつける目的なんですね だから その 4つのカテゴリーに必要というネセシティーというものを分けない限り
人生は不幸です 悪魔に包囲されたまんまになるんです で 私は一つも否定しませんよ 言いたいのは 不可欠なものはもうちゃんと取りなさい でなきゃ死にます 次に役に立つもの 次にそれに挑戦する それできたら 次に 3番目のアクセント 塩こしょうもつけてみると それも何の問題もなければ もう余分に差をつけるために頑張ればいいんです この順番あべこべになって 初めからもう差をつけようとしてるんです 時々は本当に食べ物を買うお金もない
女性の方々はもう文化縛りで高価な服やアクセサリー買ったりするんです 飢えていますけど 実際は しかし 外へ出る時はもう立派なお嬢様で もう何の問題もないように見えるんですね しかし 階段を上がる能力 体力はないんです で 年を取ったら 私は階段上がらなくちゃいけないし みんなエレベーター占領するんだから 若い子たちは 以上 記した 4つの確認ポイントはなぜ無視されたのでしょうかと
基本的になくてはならない 生きていられない 必要不可欠なものがあったのです 我々にあったんですよ 必要不可欠なもの 一つは酸素 水 ないとすぐ死んじゃいます それから栄養 体っていうのは本当に立派な神様 すごくちょっとひどいことで壊れるんです 命は危うくなり 苦しみに陥っていたのです 冷静に観察できる状態ではなかったのです これ ちょっとポイント変わります 我々は何でこの GPS 機能を使わなかったんですかね 余裕がなかったんです
赤ちゃんで考えたら 赤ちゃんもそんな余裕がないんですよ もう息できなくて ものすごい苦しいんです 生まれた瞬間で だから必死で呼吸するしかないんです
それからも我々は死にかけている いつでも死にかけているんです そうするとものすごい苦しいんですね だからこんな GPS なんか見ていられる場合じゃないんです やみくもにもう頑張らなくちゃいけないという この罠があるんですね それでもがくことになるんですね 生を受けると同時に酸欠状態になる これは例ですよ 死の恐怖感 苦しみが生じる 何でもいいから何かをくれと切望するため 羽目になる 我々はもうもう調べる余裕がないので
何でもいいんだから何かくれという かなりもう大変な状態に生きているんです だから何でもいいんだから何かくれと言ったって 何をあげればいいんですかね 本人が何かくれと言わないと 水をくれとか ご飯くれとかね だから我々大人が他の人になんでもいいんだからなんとかくれと 死にそうになってるんだよと言ったって 何をあげればいいんですかね じゃあ電車の切符でもあげたら だからこのなんでもいいんだから何かくれっていう話では生きていられないんですね
なのに我々はそういう生き方をしているんです 要するに 生きることが苦だからこそ観察する余裕がなく もがく羽目になったんです 我々はハメられているんです もがく羽目になってるんです 理由は生きることは苦なんです だけど この真理をお釈迦様がもうだから人類のために発見したんだというんです 人間に発見できないんですよ こんな余裕がないんです それで度を越した愚かさという 酸素 栄養などの物質を取り入れないと
瞬時に肉体が壊れる 心に対象がないと心も苦しみを感じる
この 2つはあるんです 体には栄養やら酸素やら入れないと瞬時に壊れて死んでしまいますね 心にもすーっと刺激が欲しいんです でないとかなり壊れてしまいます 命を維持するためことは 終わりのない気が遠くなる作業です ただ生きることだけにしても 気が遠くなる話ですよ しかし その実態を見事に無視して 生きることは尊い幸福だと決めつける 度を越した愚かさです 何の研究もしていない 悪いに悪いに 生きることは尊い 命は尊い よく言うんです
これが私は度を越した愚かさと名付けているんです
それで仏教が宿題を与えています なぜこの世で生きること 命を守ることだけ それほど難しいんですかね
家を守ることは簡単ですよ ホコリがたまらないように 床はピカピカになる いつでも 5 6年 10年使っても 床はピカピカとかね 柱とかはすごい綺麗にピカピカと そういう風に守ること とんでも簡単ですけど 命はどうですかね なんで命だけそんなに守り難いんですかね
他のものは別にそんなに手を加えなくても 例えば鶏を健康的で生かしてあげるってこと 大変ですよ 一旦鶏が死んじゃってモノになったらね 冷凍庫に放り投げればね 1年でも2年でも持ちます 鶏に命があると これで守るのは大変なんです なんででしょうかね これは なぜ紙で折った鶴でも保管すれば 100年も持つのに この命だけは脆いのですかと考えてほしいんです それ宿題ですね 仏教の なぜ壊れてもいいのに 命が壊れるのは苦しいんですかね
そんなに脆いんだったら壊れちゃえばいいでしょうに そう放っておけないんですね 結局は 命っていうのはもうもう紙 1枚よりも脆いんだったら
もういいや 壊れたってもと 放っておけないでしょ あれなんですかね 存在で 極限に脆い命を維持することは極限に苦ではないでしょうかと
幸福だと言うんですかと 命は極限に苦しいんですよ あの命を 極限に脆い命は
例えば私のポケットにボールペンがあるとしましょう もう 100円 4本買えるボールペン そのボールペン1本と私の命と比較すると どちらの方が強いんですかね ボールペンの方が強いでしょうね それ 100円で 4本も買えますからね 100 円ショップで そんなに大した価値もないものでも強いんです
それに比較すると この命は だから命が極限に脆い 極限に脆いものが守ってるんだからね これって大変なご苦労さんじゃないんですかね 極限にご苦労さんですよ 本当に文字通り だって いくら守ったっても死にますからね そういう宿題を仏教がね 人々を勘察してほしいと思うんですよ 数学の試験に音楽の塾に通うというね 我々の生き方を例えたんです 試験を受けたいんだけど 数学の試験ですけど 塾に行くんです 行く塾は音楽を教える塾なんです
タイトルが人間の生き方を表現するもの 命は苦であるという発見に余裕がないとしても 必修という項目を調べるべきでしたんです 生きることは苦であるということは まあ忘れたってのはまあちょっといいんです それより生きるために必要なもの それなんで調べなかったんですか 1 不可欠なもの 2 あれば助かるもの 3 不可欠ではないが あれば便利 楽 4 余分に飾りになるもの 5 いらないものという分析がないんです その分析がしてほしいんです
かなりスピードを上げないと 道から外れると 必要なものの分類をしてからカタログを作る必要があるんですね
あの 5つに分類して それからカタログを作る それから目的があって たどるところがはっきりして 生きることに挑戦できたはずです 目的があったらね 頑張れるのに しっかり それで目的に達したら楽しいのに ではなく 必要はごちゃ混ぜ 必要なリストは何でも記入できるように完全開放 あれ カタログ作ってないんです まだ開放 何でもいいんだから書いてください 締め切りないんです 必要なリストには それで結果として欲も要求も無限になるんです
あの具体的に無限というわけじゃないんです 我々の気持ち的には 要求も欲も無限なんです これが道から外れたことになるんです 生きる道から外れたんです だからお釈迦様は俗世の人々は生きていないんだと何のことなく言うんです はい 無限の要求から無限の苦が生まれるんです もともと苦をなくすために必要なものを要求するようになるはずでしたが 要求のカタログがないので 要求を満たすことは終わりのない苦しみを増幅するばかりの作業になっているんです
生きるということはそういう作業です カタログがないんだからね いくらでも要求リスト増えますからね だったらいくらでも苦労しなくちゃいけないことになるんです
まあ大のね 苦を忘れて まあ苦は大だから大きいんだからね 瞬間の快楽 瞬間の楽しみを目指すことになっているんです すごいおかしいことっていうのは あの苦の方が大なのに わずかな楽もありますよ あ それ見てすごいすごいと言うんです いわゆるお金で言えば皆さんはよくわかりますからね 100万円を持っていって全部払って あるいは忘れて落として 100円のおにぎりを買ってくる よかった よかった 100円のおにぎりあったとか
それでお金はあれ どこか落ちた 忘れちゃったと でも 100 が 100万円なくなったって まあこれあるでしょうにと これ食べられる 食べられますよ でもこんな生き方 理性的ですか?と だからすごい苦しみを経た結果 わずかな楽しみが生まれる 楽を探して苦を得る とは人生です 人生はもう一行にまとめる 生きるとは楽を探して苦を得ることです えーと やっと半分ぐらいになりましたので ちょっとお休憩いたします はい