初期仏教塾
動画一覧視聴履歴初期仏教とはヴィパッサナー瞑想とはアルボムッレ・スマナサーラ長老お知らせX
メニューを開く
動画一覧視聴履歴初期仏教とはヴィパッサナー瞑想とはアルボムッレ・スマナサーラ長老お知らせX

動画一覧

検索対象

「全て」を外すと、選択した項目だけを検索します。

検索: 無常 ×経典解説 ×ダンマパダ ×すべて解除
月例講演会経典解説
ダンマパダアビダンマ大念処経スッタニパータ四聖諦中部経典121『小空性経』中部経典23『蟻塚経』中部22「蛇喩経(Alagaddūpamasuttaṃ)」中部121「大空性経(Mahāsuññatasuttaṃ)」MN82 ラッタパーラ経MN87 愛生経MN88 外衣経アングッタラニカーヤ(増支部経典)サンユッタニカーヤ(相応部経典)中部経典 考相経中部経典 大空性経中部経典99 スバ経中部経典 第24 伝車(中継車)経中部経典8『Sallekha-sutta』中部61「アンバラッティカー・ラーフラ教誡経(Ambalaṭṭhikarāhulovādasuttaṃ)」Pemadosa Suttaアングリマーラ経・法の六徳 Dhamma Vandanā, ・S.I,186 (SN Sagāthāvaggapāḷi 3. Kosalasaṃyuttaṃ, 2. Dutiyavaggo, 7. Appamādasuttaṃか)・S,I.22(SN Sagāthāvaggapāḷi 1. Devatāsaṃyuttaṃ 4. Satullapakāyikavaggo 4. Nasantisuttaṃの一節か)・S.III,164 (SN Khandhavaggo 1. Khandhasaṃyuttaṃ 12. Dhammakathikavaggo 5. Bandhanasuttaṃ 「束縛経」(『相応部』22-117)の一部か) ・S. III, 28(Khandhavaggo 1. Khandhasaṃyuttaṃ 3. Bhāravaggo 6. Dutiyaassādasuttaṃ「第二の楽味経」(『相応部』22-27)の一部か・M. 3. 187(Bhaddekaratta Sutta, 日々是好日経か) ・S. 1. 4 (Sagāthāvaggo, 1. Devatāsaṃyuttaṃ 1. Naḷavaggo 10. Araññasuttaṃか) ・Sanyutta Nikaya. 1.37(Sagāthāvaggo 1.Devatāsaṃyuttaṃ 6. Jarāvaggo 6. Dutiyajanasuttaṃか) ・Sanyutta nikaya I. 42 (Sagāthāvaggo 1.Devatāsaṃyuttaṃ 8. Chetvāvaggo 3. Vittasuttaṃ か)長老偈(テーラガーター)長老尼偈(テーリーガーター)増支部経典七集第七経「ウッガ経(AN 7-7 Ugga sutta)」中部経典 第152 感覚修習経

全47件中 31〜47件

2000年代(40)2010年代(6)年代不明(1)

2000年代

10 件
DVD ID: DD-49
無能な人ほど教えたがる 1
経典解説ダンマパダ

無能な人ほど教えたがる 1

アルボムッレ・スマナサーラ長老のダンマパダ(法句経)講義です。073-074偈(5. Bālavagga 闇愚の章)を解説します。 73 Asantaṃ bhāvanamiccheyya, purekkhārañca bhikkhusu; Āvāsesu ca issariyaṃ, pūjā parakulesu ca. 空しき敬意望むあり 比丘衆中に上の座を 僧院中に権力を 壇家(だんけ)に至り供養(プージャー)を 74 Mameva kata maññantu, gihīpabbajitā ubho; Mamevātivasā assu, kiccākiccesu kismici; Iti bālassa saṅkappo, icchā māno ca vaḍḍhati. 「これをしたのはこの我」と 在家も出家も承知させ なすべきこともせぬことも 我が意のままに従えて 愚者の高慢・欲心は壊す (参考和訳:江原通子) ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:40:05例えば「私は今無常を見るように
2007年6月24日(日)
YouTube
DVD ID: DD-50
「心の出家」を目指す人へ 2
経典解説ダンマパダ

「心の出家」を目指す人へ 2

アルボムッレ・スマナサーラ長老のダンマパダ(法句経)講義です。075偈(5. Bālavagga 闇愚の章)を解説します。※「闇愚の章」完結編 75 Aññā hi lābhūpanisā, aññā nibbānagāminī; Evametaṃ abhiññāya, bhikkhu buddhassa sāvako; Sakkāraṃ nābhinandeyya, vivekamanubrūhaye. 片や利得に至る道 片や涅槃に至る道 この理(ことわり)を弁えて 声聞弟子の比丘たちは 世の崇敬を悦ばず 独居の境に励めかし (参考和訳:江原通子) ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:36:49時間というのは無常の話なんです00:36:57無常っていうのは変わるっていうことでしょう
2007年10月13日(土)
YouTube
DVD ID: DD-51
仏弟子とは「成長する人」 3
経典解説ダンマパダ

仏弟子とは「成長する人」 3

アルボムッレ・スマナサーラ長老のダンマパダ(法句経)講義です。076-77偈(6. Paṇḍitavagga 賢者の章)を解説します。 76 Nidhīnaṃva pavattāraṃ, yaṃ passe vajjadassinaṃ; Niggayhavādiṃ medhāviṃ, tādisaṃ paṇḍitaṃ bhaje; Tādisaṃ bhajamānassa, seyyo hoti na pāpiyo. わが過ちを指摘して 叱りてくれる人あらば その智者にこそ近侍せよ 宝の在所(ありか)告げ知らす 賢者に親近するがごと 77 Ovadeyyānusāseyya, asabbhā ca nivāraye; Satañhi so piyo hoti, asataṃ hoti appiyo. 教え訓(さと)して誰彼の 道に違(たが)うを防げかし 善人愛すかかる人 悪人は避くかかる人 (参考和訳:江原通子) ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:15:44諸法無我と諸行無常と00:15:52うーん 三宝印経がね 空と無我と無常なんですけどね
2007年11月10日(土)
YouTube
DVD ID: DD-55
賢者は「五蘊」を研究する 1
経典解説ダンマパダ

賢者は「五蘊」を研究する 1

アルボムッレ・スマナサーラ長老のダンマパダ(法句経)講義です。082-083偈(6. Paṇḍitavagga 賢者の章)を解説します。 82 Yathāpi rahado gambhīro, vippasanno anāvilo; Evaṃ dhammāni sutvāna, vippasīdanti paṇḍitā. 湛(たた)えて深き湖は 明澄(めいちょう)にして濁りなし 賢人達はもろもろの 教えを聞きてこころ晴朗 83 Sabbattha ve sappurisā cajanti, na kāmakāmā lapayanti santo; Sukhena phuṭṭhā atha vā dukhena, na uccāvacaṃ paṇḍitā dassayanti. 大人(たいじん)常に欲を捨て 欲の饒舌なかりけり 苦楽によりて賢者らは 掉擧(じょうこ)落こみ現さず (参考和訳:江原通子) ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:12:27基本的にはね 一切の物事は無常であるということ00:12:34すべて無常であるならば
2008年7月12日(土)
YouTube
DVD ID: DD-55
賢者は「五蘊」を研究する 2
経典解説ダンマパダ

賢者は「五蘊」を研究する 2

アルボムッレ・スマナサーラ長老のダンマパダ(法句経)講義です。082-083偈(6. Paṇḍitavagga 賢者の章)を解説します。 82 Yathāpi rahado gambhīro, vippasanno anāvilo; Evaṃ dhammāni sutvāna, vippasīdanti paṇḍitā. 湛(たた)えて深き湖は 明澄(めいちょう)にして濁りなし 賢人達はもろもろの 教えを聞きてこころ晴朗 83 Sabbattha ve sappurisā cajanti, na kāmakāmā lapayanti santo; Sukhena phuṭṭhā atha vā dukhena, na uccāvacaṃ paṇḍitā dassayanti. 大人(たいじん)常に欲を捨て 欲の饒舌なかりけり 苦楽によりて賢者らは 掉擧(じょうこ)落こみ現さず (参考和訳:江原通子) ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:33:19まあ無常たる世界では無常たる体に対しては要求期待はしないということなんです
2008年7月12日(土)
YouTube
DVD ID: DD-55
賢者は「五蘊」を研究する 3
経典解説ダンマパダ

賢者は「五蘊」を研究する 3

アルボムッレ・スマナサーラ長老のダンマパダ(法句経)講義です。082-083偈(6. Paṇḍitavagga 賢者の章)を解説します。 82 Yathāpi rahado gambhīro, vippasanno anāvilo; Evaṃ dhammāni sutvāna, vippasīdanti paṇḍitā. 湛(たた)えて深き湖は 明澄(めいちょう)にして濁りなし 賢人達はもろもろの 教えを聞きてこころ晴朗 83 Sabbattha ve sappurisā cajanti, na kāmakāmā lapayanti santo; Sukhena phuṭṭhā atha vā dukhena, na uccāvacaṃ paṇḍitā dassayanti. 大人(たいじん)常に欲を捨て 欲の饒舌なかりけり 苦楽によりて賢者らは 掉擧(じょうこ)落こみ現さず (参考和訳:江原通子) ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:18:00それも一つの無常のポイントなんですよ
2008年7月12日(土)
YouTube
DVD ID: DD-57
解脱にいたる「善のストレス」 2
経典解説ダンマパダ

解脱にいたる「善のストレス」 2

アルボムッレ・スマナサーラ長老のダンマパダ(法句経)講義です。085-086偈(6. Paṇḍitavagga 賢者の章)を解説します。 85 Appakā te manussesu, ye janā pāragāmino; Athāyaṃ itarā pajā, tīramevānudhāvati. 僅かの人は彼の岸に 渡り至るを得たれども 残る多くの人々は こちらの岸を右往左往す 86 Ye ca kho sammadakkhāte, dhamme dhammānuvattino; Te janā pāramessanti, maccudheyyaṃ suduttaraṃ. 善く説かれたる法を聞き それを実践する人は のり越え難き死の領域(くに)を こえて彼岸に至らなん (参考和訳:江原通子) ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:15:40瞬間たりとも瞬間ぐらいでも人は現象は無常であると観察するならば00:15:49それで無常の瞑想に行くんです
2008年12月20日(土)
YouTube
DVD ID: DD-60
生命のHome(家)とは何か? 2
経典解説ダンマパダ

生命のHome(家)とは何か? 2

ダンマパダ(法句経)講義 阿羅漢の章(Arahanta vagga)91偈 生命のHome(家)とは何か? 愛すべき「我が家」との訣別のために 91 Uyyuñjanti satīmanto, na nikete ramanti te, 有念者は家を出る。彼らは家(にいること)を喜ばない。 Haṃsā va pallalaṃ hitvā okamokaṃ jahanti te. 白鳥たちが沼を捨てるが如く、彼らは家を捨てる。 私たちは何かに「愛着」を入れて、それをよりどころ(Home)にして生きています。故郷の人々はみな死んでしまったとしても、老人が故郷 を夢見るとそこには幼い日の田舎の姿がよみがえるのです。人間は、何らかのHomeなくしては生きていられません。動物も当然、自分のすみか(Home)をつくっています。動物をその生活環境(Home)から外に出すのはかなり難しく、動物自身にとっても厳しいことなのです。 生命が生きるために不可欠なHomeですが、「そのHomeがあるからこそ、生きる苦しみに終わりはないのだ」ということも覚えておかないといけません。 Homeがあることで、私たちは「生きることはやりきれないのだ」という事実に気づかず、生きています。もしHomeがなければ、人は膨大な仕事につぶされて、生きていられなくなる。恐ろしいストレス、苦しみです。Homeという観念があるから、須弥山ほどの仕事があっても、ぜんぶ放り投げて家に帰ってやるぞ、という気分でいられるのです。 ときどき、「家に戻りたくない」人が「家出」したりします。その人は、何かの理由でHorneがSweetではなくなったのです。その恨みで頑 張っているのですから、結局、その人の「生」のよりどころは恨んでいるHomeそのものなのです。あらゆる生命を巧妙に輪廻にしばりつける、このHome(家)という観念について、本講義で詳しく分析してみます。 ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:40:24人生は無常です 生きることそのものは無常です
2009年7月4日(土)
YouTube
DVD ID: DD-60
生命のHome(家)とは何か? 3
経典解説ダンマパダ

生命のHome(家)とは何か? 3

ダンマパダ(法句経)講義 阿羅漢の章(Arahanta vagga)91偈 生命のHome(家)とは何か? 愛すべき「我が家」との訣別のために 91 Uyyuñjanti satīmanto, na nikete ramanti te, 有念者は家を出る。彼らは家(にいること)を喜ばない。 Haṃsā va pallalaṃ hitvā okamokaṃ jahanti te. 白鳥たちが沼を捨てるが如く、彼らは家を捨てる。 私たちは何かに「愛着」を入れて、それをよりどころ(Home)にして生きています。故郷の人々はみな死んでしまったとしても、老人が故郷 を夢見るとそこには幼い日の田舎の姿がよみがえるのです。人間は、何らかのHomeなくしては生きていられません。動物も当然、自分のすみか(Home)をつくっています。動物をその生活環境(Home)から外に出すのはかなり難しく、動物自身にとっても厳しいことなのです。 生命が生きるために不可欠なHomeですが、「そのHomeがあるからこそ、生きる苦しみに終わりはないのだ」ということも覚えておかないといけません。 Homeがあることで、私たちは「生きることはやりきれないのだ」という事実に気づかず、生きています。もしHomeがなければ、人は膨大な仕事につぶされて、生きていられなくなる。恐ろしいストレス、苦しみです。Homeという観念があるから、須弥山ほどの仕事があっても、ぜんぶ放り投げて家に帰ってやるぞ、という気分でいられるのです。 ときどき、「家に戻りたくない」人が「家出」したりします。その人は、何かの理由でHorneがSweetではなくなったのです。その恨みで頑 張っているのですから、結局、その人の「生」のよりどころは恨んでいるHomeそのものなのです。あらゆる生命を巧妙に輪廻にしばりつける、このHome(家)という観念について、本講義で詳しく分析してみます。 ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:16:18自分自身の無常を観察することだから
2009年7月4日(土)
YouTube
DVD ID: DD-61
空を飛ぶ鳥のように
経典解説ダンマパダ

空を飛ぶ鳥のように

ダンマパダ(法句経)第7 阿羅漢の章(Arahanta vagga)92偈 空を飛ぶ鳥のように 〜空性と無相の境地へ〜 92 Yesaṃ sannicayo natthi, ye pariññātabhojanā, 彼らに蓄えがなく、彼らが食物の適量を知り、 suññato animitto ca vimokho yesaṃ gocaro, また、彼らの解脱の境地が、空にして無相であるなら、 ākāse va sakuntānaṃ gati tesaṃ durannayā. 空における鳥達の行方のように、彼らの行方は知り難い。 ここではお釈迦さまが、「阿羅漢に達する人とはこのような人だ」と語っているのです。これは一般人に理解できないことです。「阿羅漢に達する」ことは、普通の人間には絶対ない経験です。まるっきりない経験について説明されてもわからないでしょう。ですから、我々が知っている世界 から説明するしかない。しかし阿羅漢の境地は、我々が「知ってる世界」と違うのです。説明できないのです。ただ、その境地を目指して頑張る しかないのです。この92偈も阿羅漢の境地を説明しているところです。キーワードは、「空性(Suññatā)」と「無相(animitta」です。特に「無相(animitta)」について詳しくご説明します。 ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:41:08で 特色がなしと無常と言ったら何ですかね00:41:38無常であることなんです
2009年12月26日(土)
YouTube

2010年代

6 件
DVD ID: DD-62
「しっかり者」が覚りに達する
経典解説ダンマパダ

「しっかり者」が覚りに達する

ダンマパダ(法句経)第7 阿羅漢の章(Arahanta vagga)93-95偈 「しっかり者」が覚りに達する 〜優柔不断じゃモノにならない!〜 93 Yassāsavā parikkhīnā, āhāre ca anissito, 彼の諸々の煩悩が滅尽され、そして食物ににおいて無依存であり、 Suññato animmito ca vimokho yassa gocaro, また、彼の解脱の境地が、空にして(実体なく)無相である(形にとらわれない)なら、 ākāse va sakuntānaṃ padaṃ tassa durannayaṃ. 空における鳥達の足跡のように、彼の足跡(境地)は知りがたい。 94 Yass’ indriyāni samathaṅ gatāni, assā yathā sārathinā sudantā, 御者によって善く調御されている馬たちのように、彼の諸々の感官が静まり、 Pahīnamānassa anāsavassa devāpi tassa pihayanti tādino. 高慢を断じ、煩悩を滅尽した、そのような彼を諸々の神々さえも羨む。 95 Paṭhavīsamo no virujjhati, indakhīlūpamo tādi subbato, 大地のように怒ることがなく、帝柱のような善行者であり、 Rahado va apetakaddamo, saṃsārā na bhavanti tādino. 泥で濁っていない池のような、そのような者は諸々の輪廻はない。 修行を完成するための心の資質とは何か?中途半端で曖昧な性格を克服しなければ、覚りへの道は開けない。アングリマーラ長老のエピソードなどを交えながら、芯の強い精神をもって仏道に挑戦することの大切さを説く。聴く人を奮い立たせる、スマナサーラ長老「ダンマパダ(法句経)」講義の白眉。 ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:07:31まあ諸行は無常苦であると分かったところで00:25:29見る人だけ無常を発見するんですね
2010年3月27日(土)
YouTube
DVD ID: DD-63
覚りに達した人の心
経典解説ダンマパダ

覚りに達した人の心

ダンマパダ(法句経)第7 阿羅漢の章(Arahanta vagga)96偈 覚りに達した人の心 〜自由意志と因果法則〜 96 Santaṃ tassa manṃ hoti, santā vācā ca kamma ca; Sammadaññā vimuttassa, upasantassa tādino. 正しい知恵によって解脱して、やすらいに帰した人、 そのような人の心は静かである。ことばも静かである。行ないも静かである。 (中村元 訳) 「覚っていない我々は、いつも無意識の予断と、意識でやめろやめろと言っていることが戦っています。覚った人にはその葛藤がないのです。予断はあっても、それは貪瞋癡の予断ではないので、心が揺るがない。悩みがなくなると行動が抜群に早くなるのです。やろうかやるまいかと悩んでいるうちに時間がなくなってしまう。俗世間にいる人は、ひどく遅いのです。効率性がまったくない。修行して心の問題をなくしてしまえば、悩みがなくなるのです。心が決めたことをすればいいのです。」 ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

01:17:16無常だから因果法則だから可能なのだんですね
2010年7月3日(土)
YouTube
DVD ID: DD-64
あなたは仏教を信じますか?
経典解説ダンマパダ

あなたは仏教を信じますか?

ダンマパダ(法句経)第7 阿羅漢の章(Arahanta vagga)97偈 あなたは仏教を信じますか? 〜渇愛を破壊する「無信」の生き方〜 Assaddho akataññū ca, sandhicchedo ca yo naro; Hatāvakāso vantāso, sa ve uttamaporiso. 何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、 生死の絆を断ち、(善悪をなすに)よしなく、欲求を捨て去った人、 ーーかれこそ実に最上の人である。 (中村元 訳) 「ある人から、「貴方はブッダの教えを信じますか?」と問われたサーリプッタ尊者は「信じません」と答えました。お釈迦さまはそれを称賛したのです。智慧のない人は他人の話を鵜呑みにするしかありません。しかし、自ら修行して覚りに達した人は、誰の話も「信じる」必要がないのです。信じるというのは人間としで情けないことです。自分の成長にハンディになって、前に進めなくなるからです。人間は疑うことで進歩してきました。神を信じていたら、まだ人間は原始人で狩猟採集で生活しているはずです。いくら文明が発達しても、私たちは「信じる」という弱みから自由になっていません。仏教を学んでいる私たちは、いくらか教えに納得しているだけで、まだ実験して自分で試していないのです。まだ仏教を「信仰」しているのです。 修行が進んで教えを自分で確かめていくと、信仰という「弱み」が消えていきます。信仰を乗り越えて、心が成長していくのです。弱みが完全に消えたら、その人はもう覚りに達しているのです。」 ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:47:11世界って随分無常で変わるもんだなとかね01:34:24すべて無常だから そんなに無限にエネルギーはね
2010年9月25日(土)
YouTube
DVD ID: DD-65
ブッダ・ドリームを目指す生きかた
経典解説ダンマパダ

ブッダ・ドリームを目指す生きかた

ダンマパダ(法句経)第7 阿羅漢の章(Arahanta vagga)98, 99偈 ブッダ・ドリームを目指す生きかた 〜なにものにも動じない阿羅漢の”心”を学ぶ〜 98 Gāme vā yadi vāraññe, ninne vā yadi vā thale; Yattha arahanto viharanti, taṃ bhūmirāmaṇeyyakaṃ. 村においても 森においても 低地においても 平地においても 諸阿羅漢が住むところ その地は楽しいところなり 99 Ramaṇīyāni araññāni, yattha na ramatī jano; Vītarāgā ramissanti, na te kāmagavesino. 世人が楽しむことのない 森はいずれも楽しいところ 離貪の者らは楽しむであろう かれらは貪り求めぬゆえに (片山一良 訳) 「私たちは生きる上でいつでも問題を抱えていて、一つ解決するとまた他の問題に悩まされます。面白いことに、この問題さえなければ私は幸福だ、と平気で言う。でも、そんなことあり得ないのです。それどころか、私たちは無数のことを論って、いつでも文句を云っているのです。それが一般人の人生です。心は常に揺らいでいて、ちょっとしたことで途方にくれる。一欠片も安らぎがないのです。ブッダが教えているのは、この現実なのです。現実を観ないことにする、なかった事にする、ないがしろにする。それは「無知で生きる」ということでしょう。そうではなくて、現実を克服してみてはどうでしょうかと。俗世間では人生の目的として様々な「ドリーム」を追い求めますが、仏教が目標とするドリーム以上にカッコいいものはどこにもないのです。」 ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:16:23真理っていうのは全て無常でね00:16:58そんなものは無常の流れを観察しながらいるだけで
2011年1月23日(日)
YouTube
DVD ID: DD-66
饒舌な社会とどう向き合うか?
経典解説ダンマパダ

饒舌な社会とどう向き合うか?

ダンマパダ(法句経)第8 千にちなむ章(Sahassa vagga)100-102偈 饒舌な社会とどう向き合うか? 〜人格向上と”パブリックスピーチ”の深い関係〜 100 Sahassamapi ce vācā, anatthapadasaṃhitā; Ekaṃ atthapadaṃ seyyo, yaṃ sutvā upasammati. 無益な語句を千たびかたるよりも、 聞いて心を静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている。 101 Sahassamapi ce gāthā, anatthapadasaṃhitā; Ekaṃ gāthāpadaṃ seyyo, yaṃ sutvā upasammati. 無益な語句よりなる詩が千もあっても、 聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。 102 Yo ca gāthā sataṃ bhāse, anatthapadasaṃhitā; Ekaṃ dhammapadaṃ seyyo, yaṃ sutvā upasammati. 無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも、 聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。 (中村元 訳) この三つの偈は、言葉についてのお釈迦様の教えです。人間は公にしゃべること(パブリックスピーチ)で社会を運営します。それで社会が良い方向に行ったり悪い方向に転がったり色々です。政治家も商売人も自分の利益のためにこの手段を使います。パブリックスピーチは心の成長のための重要な手段でもあります。親や先生から受けた教えのお陰で、私たちは何とか成長できたのです。しゃべることしか手段が無かった釈尊の時代に比べ、現代はFacebookやTwitterがあります。でも状況は変わらないのです。我々はブッダの教えを通して、世の中に渦巻くパブリックスピーチヘの免疫をつけたほうがよいのです。また、一人一人が言葉に対する責任感を学ばなければいけないのです。 ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

01:09:49全て無常でしょう 変化するでしょう01:10:10だから無常はストップできません
2012年3月3日(土)
YouTube
DVD ID: DD-67
時間のパリヤーヤ
経典解説ダンマパダ

時間のパリヤーヤ

ダンマパダ(法句経)第8 千にちなむ章(Sahassa vagga)110-115偈 時間のパリヤーヤ 〜「明日」という罠からの脱出〜 115 Yo ca vassasataṃ jīve, apassaṃ dhammamuttamaṃ; Ekāhaṃ jīvitaṃ seyyo, passato dhammamuttamaṃ. 無上の法を見ることもなく 百年生きながらえるよりは 無上の法を見通して 一日生きる方がまさる (片山一良 訳)※110-114略 震災の4年目ということで、今日は生きるとはどういうことかと考えてみたいと思います。これは誰にでもある問題で、私たちは「明日があります」と、明日を目指して生きているんです。「明日があるさ」という感じで。だから家を作るときも、明日があるから家を作る、仕事する時でも、畑田んぼを耕すときでも、「明日があるんだ」ということで、生きているんです。その気持ちがずっと心の中にあって、もう気づかないほどになっているんです。ここで明日と言っているのは象徴的な言葉で、「今ではない、先」のことです。いまの人生というのは大したことがなくて、しっかり生きるのは明日だと思っているんです。これに、ちょっとかっこいいフレーズを考えたんですが、われわれは「時間という罠(トラップ)」に嵌められているんです。時間とは、頭の観念で、いわゆる妄想の一つです。それに嵌ってしまって、なかなか抜けられないんです。 ※一部お聞き苦しい箇所があります。予めご了承ください。

文字起こし

00:36:00全て無常だね もう呪われるもの何もないんだという仏教的な考えは出てこないんですね00:51:09無常っていうのはそういうことなんです
2015年3月11日(水)
YouTube

年代不明

1 件
特別講義 ありのままの自分を発見しましょう
経典解説ダンマパダ

特別講義 ありのままの自分を発見しましょう

「ありのままの自分」を発見することは、常に変化する自分の「顔」に気づくこと。さらに覚りとは、本音でも建前でもない、たった一つの「心」を発見することなのです。スマナサーラ長老のロングセラー『ありのままの自分――アイデンティティの常識を超える』(サンガ選書)の元となった5回の連続講義を全収録。

文字起こし

01:48:59が まあそれも心は無常だからね
日付不明
YouTube
← 前へ12
© 2026 初期仏教塾
運営:日本テーラワーダ仏教協会
ご意見・不具合はこちら